夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

寝台特急 カートレイン北海道

下記本件ブログは2019年12月で消滅する弊yahooブログで2018年1月に紹介した内容を加筆修正して本ブログに再掲載となりますのでご承知願います(ブログ移行失敗による一部のブログ記事救済策)。特に印象に残った懐かしく、想い出深い夜行列車レポートを不定期で掲載しています。

 

1991年7月29日(月)、道内3泊の北海道旅行を終えて上り寝台特急「カートレイン北道道
に乗るため、白石駅に戻ってきた。 国道12号線から道道368号線に入ると正面が白石駅でカートレイン乗り場はやや平和駅寄りにあるが乗車する客の集まりは悪い。 やがて受付が始まり、13:23に回8021レが、空知運転所のDD51-1048に牽かれて「カートレイン北海道」(予定臨8010列車)が入線。往路と同じ様な車体の傷・変形チェックや車検証確認を終えて車をパレットにみたいな台に載せてから車内に入る。14:23に上り寝台特急トワイライトエクスプレス」が通過するので「カートレイン北海道」のDD51と並ぶように撮影した。

 

撮影から戻ると寝台車に乗れるようになり、帰路は往路と同じ3号車5番・6番の下段だが、往路の0番台とは違い、100番台である。 因みに編成はカニ25-551・オハネフ25-116・オハネ25-4・オハネ25-5であり、全車青森運転所所属である。 そもそも青森運転所の24系は北海道向けの車両はなく、冬季以外の「カートレイン北海道」や「エルム」を受持つ事もあるため、折戸扉の24系が北海道に上陸する事は珍しい。 本日の上り「カートレイン北海道」は約半分しか予約が埋っていないため、上段はどこも無人で自分たちの席の上も誰も来ないま15:11に上り寝台特急「カートレイン北海道」が白石駅を滑るように発車。


札幌車掌所の北斗星の車内放送で聞く様な声ではなく、ややソフトな感じで始まった車内放送は乗客が全員始発駅で乗って終点まで行くからかいつもの案内はなく、弁当が買える駅の案内と時刻を告げていると上野幌(15:21)を過ぎて西の里信号所や島松駅先端や長都駅先端で「カートレイン北海道」を撮影している鉄道ファンを見ながら北菓楼の北海道開拓おかきを摘みながらクラシック缶ビールを飲み、嫁と子供はクーラーBOXに入れておいた北海道生スイーツで北海道最終日に別れを告げるべく、3時のお茶を楽しんでいる。

 

 列車は千歳空港(15:57)・苫小牧(16:09)・白老(16:25)・登別(16:39)と通過して最初の停車駅でもある東室蘭駅(16:53-57)に到着した。4分停車で扉が開くのでDD51-1048の前で家族の記念撮影。東室蘭駅を発車すると1998年に開通する当時はまだ建築中だった白鳥大橋(全長1,380m・高さ140m)の下を走る。黄金~稀府~北舟岡~伊達紋別の海沿いを走ると、今度は山側に以前噴火があった昭和新山有珠山有珠山は9年後の2000年に大きな噴火を起こした)が見えてくると列車は西胆振地方に差し掛かる。 豊浦~大岸~礼文の海岸沿いを進み、礼文華峠と静狩峠を越え、胆振地方から渡島地方へ向かう。

 

黄金~稀府~北舟岡~伊達紋別の海沿いを走ると、今度は山側に以前噴火があった昭和
新山と有珠山有珠山は9年後の2000年に大きな噴火を起こした)が見えてくると列車は西胆振地方から渡島地方に代わると、やがて寝台特急「カートレイン北海道」は扉扱いがある停車駅の長万部駅(18:03-36)に停車で33分の大休止である。夕飯の駅弁はかなやの「かにめし」でも良かったのだが、予約すれば「鮭飯」も可能なので事前に「鮭飯」2個に「かにめし」1個で予約して無事ホームで受け取り、ホームで北海道最後の停車時間を楽しんだ。

 

長万部駅を発車すると運転停車の駅はまだあるが、扉が開く次の旅客営業停車駅は黒磯
駅までなく、もう道内の駅でホームに降りれる駅がないのは寂しく思う。 折角暖かい駅弁を入手したので、暮れてゆく北の大地を見ながら夕飯タイムにしよう・・・帰路も途中で補充した飲み物満載のクーラーボックス持参だ。 走行中も太陽が少しずつ沈み、日没は八雲駅(19:01)「通過」であった。森駅(19:25)を通過すると砂原線に入ったのは驚いたが周囲は暗くて景色が、見れないのは残念だが上り臨時寝台特急砂原線経由なのは8010レと9010レのみであった。

 

やがて「カートレイン北海道」は五稜郭駅(20:20-52)に運転停車すると32分停車するが、後続の特急「北斗14号」が通過していよいよ「カートレイン北海道」の編成が組成される。車が、積んであるワキ10000は(バイクを積んだMOTOトレインのマニ50も同じ理屈)絶えず編成最後尾に位置していないと防災上問題があるため、唯一列車の進行方向が変わる五稜郭駅で編成を揃えて機関車交換を行うのである(下記に参照)。

 

---------------------------------------------(↓ 参 考 資 料 ↓)-----------------------------------------
五稜郭←白 石)←凸[蟹][①][②][③>]+[ワキ10000×9B] 矢印は列車の向きを表す。
五稜郭→浜松町)[ワキ10000×9B]+[蟹][①][②][③>]□→ 凸はDD51、□はED79 ED75
EF65PF、[③>]の>は3号車オハネフ25の車掌室がある切妻側の向き…[蟹]は電源車のカニ24。
---------------------------------------------(↑ 参 考 資 料 ↑)-----------------------------------------

 

すっかり夜の帳が下りた江差線を進む上り寝台特急「カートレイン北海道」はこの先に上磯~茂辺地間の間にある矢不来信号所に侵入するのだ。 自分が知ってる中でも寝台特急が本線から信号所の退避線にスイッチバックするように信号所に入るのは初めての貴重な経験であり、乗車前から楽しみにしていたが無事矢不来信号所(21:12-20)に到着。 外は真っ暗であるが待避線に侵入しているのは分り、数両はトンネルに入ったみたいである。 矢不来信号所の8分停車は下り高速貨物3083レとのすれ違いで当時のダイヤグラムを見ても旅客列車の矢不来信号所停車は345D 322Dの2本だけであった。

この先は木古内から速度が増すので冷えた缶ビールを持って、オハネフ25-116の展望スペースへ行くと青函運転所のED79-12が健気に牽引しており、それを見ながら缶ビールを飲んでいると青函トンネルに進入。 1番トンネルが深い部分で特急「はつかり21号」とすれ違い、青函トンネルを出ると本州初めての停車でJR北海道JR東日本の境界線がある、新中小国信号所(22:47-47)で30秒停車・・・下り貨物4095レとすれ違うとすぐに発車した。 寝台に戻ると既に嫁と息子は寝ており、青森信号所(23:36-48)到着したので再度3号車の展望スペースへ行くと五稜郭から牽引してきたED79-5が外されて代わりに青森東運転区のED75-1033が連結されたのを確認してベッドに戻って就寝する。

 

青森信号所を発車したのは覚えていたけど日付変更や野辺地周辺ですれ違う「北斗星1号号」との離合も夢の中・・・列車は盛岡(2:19-21)・仙台(4:32-35)・福島(5:35-37)運転停車はあったけど本人が起きたのは6時過ぎで郡山駅に到着(6:15-17)。 郡山駅を発車して県境の黒川橋梁を渡ると栃木県へと入り、そして那珂川を渡るとAC20kVとDC1.5kVの地上切替デットセクションがある黒磯駅(7:11-23)に到着だ。 昨日夕方の長万部駅以来の扉が開く停車で早速、「九尾釜めし」2個と「九尾すし」1個を購入して先頭の機関車を見に行くと田端運転所のEF65-1016が、連結されるところで車内に戻ろうとすると今度は「北斗星2号」が先行通過した。

九尾釜めしはまだ暖かいので黒磯駅発車と同時に頂くがホカホカで美味くて最高。 宇都宮駅(8:10-11)に運転停車すると終着浜松町駅まで2時間7分なので所要19時間07分の旅もいよいよ終わりである。野木~間々田、 栗橋~古河(クリコガ)、東鷲宮~栗橋(ワシクリ)、東大宮

いよ終焉だ。 野木~間々田、 栗橋~古河(クリコガ)、東鷲宮~栗橋(ワシクリ)、東大宮~蓮田(ヒガハス)の有名撮影地を通過するが、平日の火曜日だけど沿線で撮影してる学生が数名いた(後日分ったのだが後続の4レがEF81-95でそれ狙いのファンだった)程度であった。大宮駅(9:17)を華麗に通過すると東北貨物線に入り、赤羽から山手貨物線に入って池袋駅(9:49-50)に1分弱停車して副都心の新宿駅も通過。自分たちも下車準備を急ぎ、忘れ物がないか注意している頃に品川駅(10:11-11)に入線。19時間以上の旅もいよいよ終了、10:18に浜松町駅に定刻で到着した。

 

無事、車を降ろしてもらい首都高・汐留ランプから高速都心環状線に乗って江戸橋JCT経由で高速1号上野線で入谷ランプで首都高を降りて我家に帰宅したのであった。 今回往復「カートレイン北海道」を利用してみて、食堂車やロビーカーもなく、B寝台のみなので退屈するだろうと懸念していたのだが、普段通らないルートや信号所に停車したり、弁当購入の東室蘭駅長万部駅黒磯駅での比較的長い時間のホーム歩きもできたので退屈は全くしなかった。乗客の殆どが家族連れだったのと車内の雰囲気もよかったし、始発駅から乗ったら終着駅まで同一行程の車持ちドライブ好きの連帯感みたいな物もあったけど車内にゆとりがあり、往復共上段寝台がノンゲストのワンボックス貸し切りが良かったのかも知れない。

         ★★★★★Memories of the night train★★★★★