夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

急行 天の川(20系)A寝台

下記本件ブログは2019年12月で消滅する弊yahooブログで2016年2月に紹介した内容を加筆修正して本ブログに再掲載となりますのでご承知願います(ブログ移行失敗による一部のブログ記事救済策)。特に印象に残った懐かしく、想い出深い夜行列車レポートを不定期で掲載しています。

 

北海道方面だから青森なら早くて青函連絡船への乗り継ぎもよい「ゆうづる」や「はくつる」がベストだけどもう何回も乗ってるし、最短移動で行ってもつまらないため、何かよい夜行列車がないかと思案してたら、同じ趣味団体の友達で秋田の会員から20系の寝台専用急行「天の川」が、1985年春のダイヤ改正で廃止(臨時格下げ)になる情報を入手したので「天の川」に決定だ。


1984年4月27日(金)、今年のGWは9連休と休みが長く、道内の未乗線区も僅かだし、急ぐ旅ではないので真っ直ぐに青森を目指す必要もないので、GW前夜の乗車分を1ヶ月前売りにてに急行「天の川」のA寝台下段を押さえ、帰路の夜行と都区内発の北海道ワイド周遊券も購入して発車当日を待つ。流石に北へ向かう「ゆうづる」「はくつる」「あけぼの」などの寝台特急は殆ど満席に近いが今夜乗る寝台急行「天の川」は6割くらいしか売れておらず、52cmベッドの三段寝台は人気がないようで、1ヶ月前に取ったA寝台も半分売れ残っていた。

 

上野駅で寝台急行「天の川」の入線を待っていると、推進運転で電源車のカヤ21の轟音を先頭に入線。ナロネ21が2両も連結しているのは昔の20系寝台特急「あけぼの」を彷彿させてくれるシーンで、なかなか堂々としているのが、頼もしく見える。自分が乗った2号車のA寝台はナロネ21-145で牽引機は長岡運転所のEF64-1007であった。先は長いので酒類やつまみの買出しも終えて、A寝台下段のカーテンを開けて窓際のテーブルを引き起こして1人乾杯(私はこの時間帯が何気に好き)してたら車掌の改札が、始まって指定券と北海道ワイド周遊券を見せると車掌の表情が強ばり、「この列車は秋田止まりで青森まで行かないですよ」との返事に秋田で乗り換えますからと返答していたら22:38に上野駅定刻発車


20系のA寝台は1983年1月2日に乗車した急行「津軽」以来だが、「天の川」のA寝台も車両は古いけど細かな所まで清掃や整備がしてあって気持いい。暫くは誰も座っていない、喫煙室の4人ボックスへ引越してビールを飲みながら、煙草を吸って寛いでいると、すぐに浴衣姿に煙草とお酒持参の50代前半客が、来たので会釈程度の挨拶をしてお互いが、持参した、ツマミを勧め合って世間話に興じるが、旅慣れた方で話上手・聞き上手な方であった。 寝台急行「天の川」は大宮(23:03-03)に停車すると高崎線へ入り、急行らしく熊谷(23:38-40)にも停車して、本庄~新町間にある利根川水系の神流(かんな)川を渡ると埼玉県も終って群馬県に入った。


そして8分停車の高崎(0:22-30)ではカメラ片手に反対側のホームからEF64-1007と20系の編成写真をカメラ手持ちスローシャッターで数カット撮影してホームにある深夜でも買えるビールの自動販売機で500mlの缶ビールを購入して高崎駅での自分にとって有意義な8分停車は終わった。ビールを飲み終えて新前橋あたりからA寝台下段ベッドへ横になったが、目を瞑ると列車が軋むカーブを走行中に今はヤギシブ(八木原~渋川)の大カーブかなとか、トラスの鉄橋走行音がすると渋川の大正橋横の鉄橋かな? 津久田第1橋梁かな?と景色が全く見えない中でも自分の想像が膨らんで楽しい。


この先は寝てしまった様で、就寝中の途中停車駅と時刻を記しておく・・・水上(1:39-47)・長岡(3:47-57)・見付(4:09)・東三条(4:20-21)・加茂(4:30)・新津(4:47-53)・新潟(5:07-30)。目が覚めたけどまだ寝惚けていて横になったまま、しかし23分停車の新潟(5:07-30)で進行方向が変わり、デットセクションがある村上~間島が近いために、酒田機関区のEF81-128に変わって自分は食料探しをやるが、朝5:20では新幹線乗換え口の弁当屋も閉ったままである。新潟から先は進行方向が変わるが、A寝台下段だと進行方向が変わっても席や枕の位置を変えれば進行方向側に向けるから便利。

 

新潟を発車して暫くすると新潟コシヒカリ米の産地であろう、大規模田園の中を走りながら新発田(5:57)・中条(6:14)・坂町(6:24-27)・村上(6:43-44)と停車しながら(この区間は寝ている時間も長かったがw)新潟県下越地方の米処を走り、村上駅を出ると鮭の遡上と漁獲で有名な三面川橋梁付近に電源切替を促す標識が、架線柱に付いており、前後に変電所もあったので、DC1.5kVとAC20kV(50Hz)切替のデットセクション区間を走行。村上駅を過ぎると待望の日本海が見えてきたので自分もベッドから起きてちゃんと起きて着替えた。

 

急行「天の川」の車窓左側からは日本海の沖合いには粟島が、見えて来ると海岸には独特の岩礁と海辺が美しい、瀬波笹川流れが見えて来た。列車は府屋~鼠ヶ関で新潟県から山形県へと入り、暫く美しい日本海を眺めていると急行「天の川」はあつみ温泉駅(7:42-42)に到着。あつみ温泉からベッドを座席に直す係員数名が乗ってきてA寝台は1号車から座席に戻すのであるが、A寝台もB寝台も座席に戻してヒルネとして終着駅の秋田まで運転するのである。羽越線を走る急行「天の川」は特急「いなほ1号」の前走りなので前夜の寝汗が染み込んだA寝台をグリーン車として利用する乗客が一体何名いるのか楽しみでもある。


鶴岡(8:09-10)と余目(8:31-32)に停車するも2号車へのG車ヒルネ利用客は0で下車客が7人だったが、9分停車の酒田駅(8:45-53)では半数以上が下車して、乗ってきたG車ヒルネ客は2名のみだった。ホームには駅弁の立売が出ており、前に下り急行「きたぐに」や下り特急「白鳥3号」の車内で購入して美味しかった、酒田弁当部の「庄内米ササニシキ弁当」と熱いお茶を購入。反対側の窓から本楯~南鳥海あたりで見えた秀峰鳥海山の眺めを愛でながら酒田駅で買った"庄内米ササニシキ弁当"を頂くが、ご飯がまだ温かくて美味しく飯粒ひとつぶ残さずに完食・・・ごちそうさま。

 

遊佐駅(9:06)を発車すると日本海を見ながら、反対側の鳥海山はやや後方に移動して景色に変化をつけてくれる。 吹浦(9:13)では1番日本海らしい荒波と磯場の海岸を見て、秋田県に入った象潟(9:32)では暫く行くと、水田の中に小島が残る"陸の松島"の小島や松が田んぼの中に見えており、奥の細道松尾芭蕉も当地を訪れて句を読んでいる。この先、海に浮かぶ飛島と日本海の男性的な海岸を見ながら仁賀保(9:26)に停車して、国鉄矢島線(現 由利高原鉄道鳥海山ろく線)乗換駅の羽後本荘(10:03-04)へ到着。

 

羽後本荘を発車すると次は終着駅の秋田だが、下車準備を済まして羽後亀田駅の先から桂根信号場(現 桂根駅)まで続く日本海を堪能して11:06に秋田駅に無事到着した。12時間29分の旅だったけど、日本海鳥海山も見れて、象潟の陸の松島も見れて中身の濃い夜行列車の旅だったような気がする。自分はこのあと北へ向かうので接続列車で青森に向かった。

       ★★★★★Memories of the night train★★★★★