夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

普通夜行 44列車(旧客)

このブログ記事は1976年~1977年に乗車した夜行列車レポート手記をWindow98のXLS入力したHDDが、パソコンデーター復旧で当時のExcelデーターが甦ってそれを元にしたおよそ42~43年前の乗車記ですので時刻や番線などに相違があったらご了承ください。

 

 1977年9月1日(土曜日)、9月になった初日の夜に僕とM君は札幌駅で函館行きの普通44列車の入線を待っていた。 いわば僕たちの北海道旅行で道内では最後に乗る夜行列車なので19:30頃に本場サッポロ・味噌ラーメンを食べて気合は入れてある。 21:20頃に岩見沢第二機関区のED76-517に牽引されて44列車が入線するとホームで待っていた乗客が一斉に乗車した。自分達は客車では一番後ろの(客車は3両しかないけど)オハフ62-25に乗り込んで定番である進行方向右側に荷物を置いて手分けして編成確認した。 DD51658+マニ36+マニ36+マニ36+マニ36+オユ10+スユニ61+オハフ46+オハ35+オハフ62+スユニ60。


3両しかない自由席・座席車に札幌~小樽の通勤圏で遅い帰宅組が余り集まらない思ったら今日は花の土曜日なので官公庁や大手企業は正午で仕事が終わりの事業所やオフィスもあるようだが、発車時刻が近付くと乗客も増えて21:43に普通44列車は札幌駅を発車した。桑園(21:46)・琴似(21:50)・手稲(21:59)・銭函(22:07)・張碓(22:14)・朝里(22:19)・小樽築港(22:24)・南小樽(22:28)の順に停車しながら、10分停車の小樽(22:31-41)に停車すると約半分の乗客が下車。小樽の先は非電化区間になるのでED76-517が、離れて変わりに五稜郭機関区のDD51-658が連結された。

1BOXに4人で座って窮屈だったけどやっと2人で占領してお互いに足を投げ出しあって
寛いで2人で空いた車内で煙草を吸っているとDD51のホイッスルが聞こえて44列車は発車した。 列車は小樽を発車して街中を抜けるとS字カーブが連続して蒸気機関車牽引の列車には難所だったオタモイ峠を越えると塩谷(22:54)・蘭島(23:03)・余市(23:10-10)に停車。余市駅を発車すると車内の灯りが、減光されて仁木(23:16)・然別(23:22)・銀山(23:39)小沢(23:53)と停車して胆振線乗り換え駅の倶知安(0:12-16に)停車したので水道の蛇口から出る羊蹄山(蝦夷富士)の湧水を飲んで車内に戻る。

 

倶知安を発車した普通44列車は1BOXに2~3人くらい乗っており、流石に週末の夜行列車であるが、倶知安から大沼までは快速運転に切り換ってそろそろ自分達も休ませて就寝する。以下は就寝中の停車時刻・・・ニセコ(0:34)・目名(1:03)・黒松内(1:33)・長万部(1:56-2:12)・


下は就寝中の停車時刻・・・ニセコ(0:34)・目名(1:03)・黒松内(1:33)・長万部(1:56-2:12)・
・八雲(2:45-45)・山越(3:03-03)・森(3:33-35)・尾白内(3:30)・掛澗(3:35-35)・渡島砂原(3:41)・鹿部(3:54)・(3:41)・鹿部(3:54)・大沼(4:11-14)・仁山(4:22)・渡島大野「現・新函館北斗」(4:36)・七飯(4:43)。 目が覚めたら渡島大野七飯の間くらいでちょうど藤城線と合流する箇所で目が覚めた様である。 車窓は朝というか、まだ外は真っ暗なので寝たい衝動に駆られる。窓を開けてすれ違うDD51牽引の旧客を見ていたら三つ目ライトのDD51-742を見ていると終着が近い。

 

下車の準備をしながら大中山(4:49)・桔梗(4:54)・五稜郭(5:03)に停車して5:09に終着駅の函館駅に到着した。 朝晩しか運転・設定のない江差線のDE10牽引の旧型客車1721レ→1724レで往復したのちに函館駅に戻ってお土産買ったり、観光して函館15:05発の青函連絡船18便(羊蹄丸)で北海道に別れを告げて青森へ向かった。

             ★★★★★Memories of the night train★★★★★