夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

急行 きそ9号(旧客)

下記本件ブログは2019年12月で消滅する弊yahooブログで2013年3月に紹介した内容を加筆修正して本ブログに再掲載となりますのでご承知願います(ブログ移行失敗による一部のブログ記事救済策)。特に印象に残った懐かしい想い出のある夜行列車レポートを不定期で掲載しています。

 

1978年5月上旬、当時大学2年生だった自分は長野市へ行く用事が出来て、普通なら新宿⇔長野往復や上野⇔長野往復を考え付きますが、普通に往復してもつまらないため、名古屋~中央西線篠ノ井線経由にて更に名古屋から夜行列車を使おうと、悪巧みというか、この際乗りたい夜行列車も乗ってしまおうと夢を膨らまします。当時川崎に住んでいたため、 乗車券は横浜市内~二俣線~名古屋~中津川~塩尻篠ノ井線信越線~高崎線~大宮~横浜市内の一筆書き乗車券を学割で購入して急行「きそ」の自由席急行券も購入して名古屋駅へ向かった。


今夜乗る急行「きそ6号」は名古屋と長野を結ぶ、旧型客車の夜行列車で長野から先の直江津までは「きそ6号」崩れとして普通列車(325レ)として走るが、自由席の列は延びないと思っていたが、山岳スタイルの山男が多い列は荷物が多いので人も多く見えてしまうのかも知れない。 更に今夜は臨時急行「きそ5号」もあるので、急行「きそ6号」の混雑も緩和されているように思える。発車27分くらい前に7番線に篠ノ井機関区のEF64-58が牽いて入線、58号機といえば5ヶ月後の1978年10月にやまびこ国体でロイヤルエンジンを勤める予定がある機関車でラッキーだ。

 

急行「きそ6号」の編成はスユニ61+マニ36+オハネフ12+スハネ16+オハフ45+オハ46+オハ46+オハ46+オハ46+オハフ45で自分は5号車のオハ46に乗車した。 急行「きそ6号」は23:55に定刻に発車して金山から中央西線に入りますが、名古屋から夜行に乗るのも中央西線の夜行も初めてなので楽しみなのですが、今朝は早起きして5:37発の普通321Mに乗ったので寝不足なのです。名古屋を発車して暫くは名古屋市の延長戦だと勘違いしてましたが名古屋市名古屋駅新守山駅のみなのです。

 

高蔵寺駅くらいまでは街中だったけど高蔵寺を過ぎて定光寺~古虎渓くらいで横に川の流れが上流っぽくなり、周囲もかなりローカル色が出てきたことが何となく分かるけど外は真っ暗である。しかし車内が明るい近代的な車両と違って旧型客車の車内は暗めなので目が慣れると車窓からでも分かるのが、旧客夜行のいいところ。 車内は信州方面へのハイカーや登山客以外にも、観光客や旧客の夜行急行「きそ6号」目的の鉄道ファンも数名目撃して我が5号車は1ボックスに1~2名の乗車率で今のところは1ボックス貸し切りで急行「きそ9号」の旅を楽しんでいる。

 

2分停車の多治見(0:38-40)で小休止・・・さらに中津川(1:45-55)では10分も停車するのでホームに降りて改札も出てみるけど目星い物はなし。そろそろ瞼も重くなり、眠さも限界なので休みたいと思います(おやすみなさい)。深夜停車駅の須本(2:15)・植松(2:35)・木曽福島(2:51)・塩尻(3:40-47)は全く記憶にないのですが、6分停車の松本(4:06-12)では下車客の準備や話し声で目が覚めて、話の内容からすれば大糸線方面へ向かうらしいとの事で多くの乗客が松本駅で下車。ホームではまだ未明時刻なのに、数名の駅弁販売員が待機してたので貧乏学生なのについ手を出してお好み弁当を購入(長野駅でホームの信州蕎麦の立ち食いを食べるプランは消えました)。 


松本を発車すると急行「きそ9号」から普通列車篠ノ井線に入り、車窓が見えるくらいに明るく、姨捨駅を通過すると日本三大車窓の一つ、善光寺平の風景や約2,000枚近い水田が織りなす美しい棚田の景観を見る事が出来たのがよかった。当時はまだ建築物が少なかった(現在は高速道路や新幹線の高架橋に橋脚など建築物が多くて当時の面影はあまりありません)。

 

ちょうど腹も減って来たので松本駅で購入した駅弁に箸をつけながら、旧型客車で早朝の篠ノ井線車窓を充分に楽めて、急行「きそ6号」の旅は自分が、思い描いていたより、素晴らしい旅でした(乗車する前は急行「ちくま」に比べて地味に思えたのである)。列車は篠ノ井駅(5:19-20)に停車した後、信越線へ入ると5:32定刻で長野駅に到着。列車はこの先の直江津駅までは急行「きそ6号」くずれの普通327列車として運転されるが、自分は長野駅で下車した。

 

なお下り列車なのに偶数の「きそ6号」なのは当時列車の後に続く愛称番号は下り列車も上り列車も1号、2号、3号だったのですがゴーサントウ(昭和53「西暦1978」)年10月2日ダイヤ改正)から下り列車は奇数、上り列車は偶数に統一されたのです。そのため、昭和53(西暦1978)年10月1日までは下りも上りも○○1号が存在してたのである。

         ★★★★★Memories of the night train★★★★★