夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

夜行列車から見た好きな車窓4

下記本件ブログは2019年12月で消滅する弊yahooブログで2015年10月に紹介した内容を加筆修正して本ブログに再掲載となりますのでご承知願います(ブログ移行失敗による一部のブログ記事救済策)。

「夜行から見た好きな景色4」のエリア区画は名古屋から中央西線塩尻までと塩尻から松本、そして松本から大糸線糸魚川までのラインから西側(南側)をそろそろ纏めようかと思う。今回は上記の日本海も太平洋も兵庫県を境として「6件の夜行列車から見た好きな4」をリリースさせてみた。

 

【★北陸本線 田村~長浜★】
1979年のゴールデンウィークに青森から大阪まで、上り急行「きたぐに」にて全区間走破
した際に朝6時過ぎに田村~長浜で見えた早朝の琵琶湖の素晴らしかった事。 琵琶湖といえば、湖西線側から見たほうが竹生島とか見えて有名なのだが急行「きたぐに」は伝統の北陸本線経由なので特筆すべきと思い、敢えて取り上げてみたが急行「きたぐに」は12系から14系、そして583系へと車両は変わって上りの502M時刻も多少変わって長浜が、AM5:13だったと記憶するので、1時間くらい通過時刻が早くなってしまったのが残念。

 

【★湖西線 近江高島~北小松★】
北陸線の琵琶湖を紹介して、本家湖西線の琵琶湖を知らん振りする訳にはいかないので書き留めておくが、下りや上りのトワイライトエクスプレスや大阪発の早い「日本海1号」などで見る事ができた夜行列車からみた好きな車窓のひとつだ。湖西線は関西と北陸を結ぶメインルートであるが、下りのトワイライトエクスプレスだと食堂車「ダイナープレヤデス」でランチ営業を楽しみながら見ると最高であったがそのトワイライト・エクスプレスも廃止になってしまった。


【★紀勢本線 新宮~三輪崎★】
寝台特急紀伊」や紀勢線夜行の下り「はやたま」や無名の12系夜行になった「924列車」が新宮~三輪崎で見える太平洋のロングビーチと青い海原を最初に選んだ。寝台特急紀伊」だと、紀伊長島~三野瀬・新鹿~波田須が岩場や砂浜もあって熊野の海岸らしくていいのだが海岸から列車まで離れており、目の前が海岸の新宮~三輪崎を選ばしてもらった。

 

【★紀勢本線 紀伊天満~那智★】
寝台特急紀伊」や紀勢線夜行の下り「はやたま」や無名の12系夜行になった「924列車」が那智駅に入線する前後に見える、白い砂のビーチ・那智の浜が広がるシーンは特に初めてこの地に来た、寝台特急紀伊」から見た時は天国かと思ったくらいだ。夏に見ていれば、海水浴客が多くて違うイメージに移ったのだろうが初めて見たのが2月のまだ冬の朝だったので余計に人がいなくて、きれいなビーチに見えたのかも知れませんが末期の寝台特急紀伊」から見えた最高の景色でした。


【★山陰本線 鎧(よろい)駅★】
自分が山陰線を旅するようになって一番心に響いた駅だ。 ある日、東京から寝台特急「出雲3号」に乗って、そろそろ餘部橋梁だなと車窓に肉眼を凝視していたら、漁村を見下ろす小さな駅を通過したのだが青い日本海のきれいな海と松の木の色とのカラーコントラストが素晴らしくて、思わず次の停車駅、浜坂駅から普通列車で戻ろうと思ったくらいだがすっかり餘部橋梁話題がすっ飛んでしまうくらいにこの駅との出会いは鮮烈であったのだ。特急列車の小駅通過は一瞬なので、数日後に鎧駅を尋ねたら海側のホーム端には小さなベンチもあって、1時間くらい景色を眺め満足して旅を続けたのである。

【★山陰本線 鎧~餘部★】
山陰線では一番高い橋梁で、初代の旧橋梁は鋼製トレッスル橋で「余部鉄橋」の通称でも知られ、2010年7月16日夜に運用を終了して、現在は新線と新橋梁に切替わっている。寝台特急「出雲1号」だとAM4時台前半の通過なのと、一時的に「出雲1号」のみ伯備線経由で迂回していた時期も多かったため、余部橋梁は日の出時刻が遅い時期でも車窓から余部橋梁が確認できた「出雲3号」乗車の時が多かった。日本海の海の色と山や斜面に生える赤松とのカラーバランスは素晴らしく、冬なら荒れ狂う日本海と鉛の色みたいな空と海の色を吹き荒れる雪の白さ・・・いつ行っても餘部は非日常的になれるシーンと風景を用意してくれて旅人をもてなしてくれそう・・・(駅名は餘部、橋梁名と地名は余部なのでややこしく、山形県庄内地方の余目と混同しそうだ)。

         ★★★★★Memories of the night train★★★★★