夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

急行 十和田1号「6201レ」(14系)

このブログ記事は1976年~1977年に乗車した夜行列車レポート手記をWindow98のXLS入力したHDDが、パソコンデーター復旧で当時のExcelデーターが甦ってそれを元にしたおよそ42~43年前の乗車記ですので時刻や番線などに相違があったらご了承ください。

 

1977年8月26日(日曜日)、既に4ヶ月前以上から大学1年生になった自分だが上野駅19番線ホームで急行「十和田1号」の12号車乗車位置で入線を待っていた。

 

北海道行きなら青函連絡船とその後の函館接続も良い急行「八甲田」だろう?と訝しむ人も多いだろう。 それに1977年3月7日乗車の「十和田3号」乗車の際は今回も同行するM君が14系座席車を派手にDISっちまったから自分も急行「八甲田」「津軽1号」だと思ってたの
だが夏は涼しさ優先なのだそうだ。 僕らは早春の東北旅行が終わった後も大学入学直前までバイトして更に7月下旬からも1ヶ月間バイトして旅費を貯めた。1976年夏の北海道が、貧乏旅だったので約2ヶ月間バイト(G.Wの祝祭日・日曜日も親戚の肉屋で働いた)したので懐は暖かい中、19番線から北へ向かう1番手の「ゆうづる1号」が発車すると10分後の20:01に回送6201レが入線。 

 

本当は8月末までバイトして9月から北海道行きを計画してたが急行「十和田1号」は8月まで運転の季節列車なので夏運転最終日の8月26日に照準を合わせたのである。8月最終日曜日・夜発だから空いているだろと高を括ると予想通りに入線前から並んだのは12号車は我々2人のみ。早速12号車のオハフ15-24に乗り込んで編成確認を手分けしてちゃっちゃと終わらせる。EF8036+①スハフ14+②オハ14+③オハ14+④オハ14+⑤オハ14+⑥オハフ15+⑦スハフ14+⑧オハ14+⑨オハ14+⑩オハ14+⑪オハ14+⑫オハフ15。

 

先頭では田端機関区のシリコン整流器搭載のEF80-36(1次車なのがV)が水戸まで牽引するが、狙っていたとは言え、12号車の乗車率は流石に季節臨最終日というか推測だが、14系客車を盛アオへ返却させるのが目的みたいな運用だから特に低い乗車率なのだ。18番線から寝台特急ゆうづる2号(13M)」が、北に向けて鶴の次男が飛んで行くと我々急行「十和田1号」も13Mの10分後を追って北に向かって上野駅を20:10に出発した。ちょうど帰宅時間帯なので13Mと6201レの間に勝田行き近郊電車が、挟まってる影響を受けて快調に飛ばせないのが残念だけど何処かの駅で抜い様で快調に走って土浦(21:06-07)に到着。

 

 流石にクーラーが利いた14系の車内は涼しくてこれは癖になりそうな快感だけど約40分で水戸(21:47-56)に到着すると機関車交換を見にホームに行く。田端運転所のEF8036が離れると長町機関区のED75-99が連結されて平行きの特急「ひたち21号」を先行発車の退避をして水戸を発車した。 夕食は家を出る前に早く食べたので小腹が空いたので家から持参した徳用大袋の菓子パンを食べる。平「現いわき」(23:18-20)では深夜なのに駅弁の立売りをしてたが、明日からの夜行列車座席仮眠連泊が続くので就寝した。 

 

以降は就寝時間中の停車駅時刻、原ノ町(0:33-35)・仙台(1:57以降は就寝時間中の停車駅時刻・・・原ノ町(0:33-35)・仙台(1:57-2:05)・一ノ関(3:21-25)・北上(3:57-58)・花巻(4:10-10)・盛岡(5:02-06)・北福岡「現二戸」(6:08)八戸(6:37-39)。仙台くらいでトイレで起きた以外はぐっすりと寝て八戸到着放送で目が、覚めると外は眩しいくらいの明るさだけど冷房14系のお陰で完全爆睡。冷房のせいか喉が渇き、2分停車で自販機で缶コーラを買って1缶をM君と回し飲みしている内に三沢(6:57)、そして野辺地(7:21-25)に到着した。

 

野辺地の4分停車を利用して朝食用駅弁を求めに行き、とりめし(450円)を無事購入して食べたけど急行「十和田1号」より1時間30分遅く出た「ゆうづる3号(15M)」と同じく、上野を2時間10分遅く出た「はくつる」は既に青森到着済みでどこで抜かされたのが、気になる。当時の季刊ダイヤ情報には1時間目ダイヤグラムが、掲載されていたけど鉄道雑誌は立ち読み専門だったし、M君曰く仙台駅の8分停車ではないと見当を付ける。浅虫「現浅虫温泉」(7:51)を発車したら右手車窓に当時は津軽海峡と勘違いしていた陸奥湾の海が、近づくと青森駅はあと少し・・・野内と東青森を通過すると8:12、定時で青森駅に到着した。

 

青函航路接続は1時間38分後の青函連絡船7便なので連絡船桟橋・待合室横にある立て看板下に荷物を置いて跨線橋から7便である八甲田丸の車両甲板へ貨車を押し込む風景を眺めて過ごすけど僕もM君もここで見る風景が好きだ。 乗船開始の放送が入り、事前に記入した乗船名簿を手にいざ、八甲田丸へ乗船。 自分達は下北半島が見える右舷窓際の桟敷席に荷物を置いてから、プロムナードデッキへ移動して津軽半島下北半島を眺め、昨年夏は貧乏すぎて利用できなかった船内食堂のグリル八甲田で当時一番安かった400円の塩ラーメン(カレーライスも400円)を昼食として食べ、大いに満足した。

                             ★★★★★Memories of the night train★★★★★