夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

寝台特急 エルム(B寝台)

1996年8月1日(木曜日)、 上野駅13番線ホームで臨時寝台特急「エルム」の入線を待っていた。実は7月中旬には函館出張が決まっており、前回(1993年9月)の時と同じく羽田7:00発のANA 851便でも函館空港に到着するのが8:20でそこからタクシーで出張先の会社に着くのは9時を越えるか越えないかの微妙な時間帯なので今回も夏臨「エルム」の世話になって指定券だけは早期に入手しておいた。エルムは7/26~8/30の設定で24系25形9両+カニ1両の合計10両編成で9号車の禁煙車に下段を見つけてキープしておいた。

 

当日は18時に会社を出て上野駅に到着後夕飯のチキン弁当を買ってから13番線に入るとちょうと「北斗星5号」が入線するところだった。実はエルムの指定券を購入した時に「北斗星5号」の開放B寝台なら取れたのだが函館到着が6:34と早すぎたので1時間後に函館到着する「エルム」にしたがエルムでさえ、函館到着が早いのである。「北斗星5号」が発車した8分後の19:11に「エルム(8007レ)」が入線したので1号車の乗車目標位置で待っていると扉が開いたので1号車のオハネフ25-5に乗車、荷物を寝台に置いて停車時間12分間では9両前の機関車確認は断念(無駄な汗はかきたくないだけ)。

 

真夏なのでビールも生温くなるので発車5分前に缶ビールと枝豆を購入して1号車2番下段で発車を待つと19:23上野駅を定時発車したので1本目の缶ビールは枝豆で飲んで2本目の缶ビールはチキン弁当を食べながら飲んだけど食堂車や車内販売は無いので弁当購入して乗ってるお客の多い事。1号車でネクタイして乗ってるのは自分だけなので恥ずかしくなるが早々に浴衣へ着替えて寛ぐ事にする。上野駅発車時点で3分前に前方を走る特別快速3547M(上野~大宮各駅停車)の影響で北斗星5号の様に快調に飛ばせない様である(定期列車を優先する臨時列車のつらいところ)。

 

大宮(19:50-50)を発車すると1号車の乗車率も90%を越えて微かに空席(空き寝台)が残るのみであるが我が1号車には25形0番台なので寝台側も大きな窓ガラスで車窓を眺めるには最適な車両でもある。それにしても「エルム」に乗るのは久々で3年振りの乗車だが本来北海道方面には個室も食堂車もある「北斗星」に乗る事が多いのでわざわざ函館到着が「北斗星5号」より遅い「エルム」に乗るのは特異なのかも知れない。大宮駅からは特別快速3547Mの4分後を「エルム」が追いかけるが大宮~小山間の久喜と古河以外は通過なのに宇都宮まで快速3547Mが抜けない臨時だけど寝台特急とは思えないダイヤ設定になっているのが笑える。

 

時間はまだ21時前だけど明日の朝は早いのでもう寝ちゃおうかと思いたくなるが「エルム」では行く所もないので寝るに限るのかも知れないが寝台に横になって明日の仕事について考えていたら宇都宮(21:00-01)に到着してそのまま寝てしまった様だ。以降は就寝時間の停車駅と時刻・・・福島(23:01-03)・仙台(0:01-03)・青森(4:44-51)、他に黒磯・仙台・一ノ関・盛岡に運転停車。結局7時間以上は寝れたけど起床したのは青森駅発車4分前で1号車の車端・展望区画へ行くと青函運転所のED79-10の後姿が見えたが青森駅ホーム自販機で購入した甘くない缶コーヒーを飲みながらまったり。

 

すっかり日の出時刻を過ぎた青森駅を発車した「エルム」は滝内信号所から奥羽線津軽線に分かれて単線区間が中心の津軽線に入ると対向列車とのすれ違いで運転停車を繰り返しながら先を進むが臨時列車のツライところ。奥内駅では202列車こと上り急行「はまなす」と交換のため、運転停車中沢駅では上り高速貨物3054列車退避で運転停車郷沢駅では上り高速貨物3098列車退避で運転停車蟹田駅では上り高速貨物3088列車退避で運転停車

 

新中小国信号所から三厩方面の津軽線と分かれて高速運転に移ると青函隧道に入り、竜飛海底駅吉岡海底駅を通過すると青函隧道出口に続く第一湯の里トンネルを出ると黒い闇の世界から北海道の地上に出た。知内駅(現湯の里知内信号場)を通過して木古内から単線区間江差線に入ると渡島当別駅で上り高速貨物3058列車退避で運転停車、更に上磯か久根別でも上り貨物とのすれ違い交換の運転停車が続いたけどいよいよ自分が下車する駅でもある函館駅(7:35-8:02)が近付く。

 

五稜郭駅を通過して函館駅へ定時で到着すると駅のホームでは駅弁のワゴン販売が並んで更にホームの立ち食い蕎麦屋からは湯気が立ち上り早朝ではなくて朝である事を否が応にも伝わってくる。朝から蕎麦でもいいがせっかく函館に来たのだから駅前の朝市食堂で贅沢な朝ごはん(きくよ食堂の巴丼)を食べてからタクシーで仕事先に向かう。  

                         ★★★★★Memories of the night train★★★★★

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

急行 八甲田(上り・自由席)

1996年7月28日(日曜日)、 青森駅で上り臨時急行「八甲田」を待つ予定だったが列車は青森駅始発だが実際には函館からの臨時快速「海峡86号」が19:01に到着して19:55発の臨時急行「八甲田」になるのだがここで疑問。青森駅で一旦客出しして車内清掃するのか、はまたま青森からの14系座席車が別運用になるのか、更にそのまま車内整備もせずに乗せちゃうのか不明であり、同じ趣味仲間で詳しい人に問えば7/27の臨急8108レは何もせずに客扱いするとのご教示を頂き、急遽津軽線蟹田駅から臨時快速「海峡86号」に乗れば待つ手間も省ける訳で今回は異例の乗車となり、青森駅へ19:01に到着すると車内放送が「この列車は19:55発の上野行き、急行八甲田になります」と案内。

 

乗車している8号車は下り「八甲田」で乗ったオハ14-49だが周辺の青森駅から進行方向が変わるため、周辺の席を回して向きを変えてから進行方向・右側の席を1ボックス作って席に荷物を置いてから先頭まで歩いて行くと青森運転所・東派出所のED75-759の連結が始まり、最後尾にはMOTOトレインのオハネ14とマニ50が連結されていた。他の自由席も見て回ると驚くくらいに空いているが日曜日発の臨時夜行急行は人気がないようである。青森市ねぶた祭り8月2日~8月7日)前だし、明日は平日なので余計空いているのかも知れない。

 

8号車の車内に戻るとキープしてある席以外は座席の向きが変わってて弘済美装の服を着た清掃スタッフが車内のゴミを片付けて簡易清掃作業中だった。函館から来た大阪行きの寝台特急日本海4号」が入線すると青森駅からの利用者が多かったけど臨時急行「八甲田」の客は余り増えないまま、青森駅を19:55に発車した。発車と同時に親子共々「わかどり弁当(800円)」を夕飯にして自分はビールも飲んだけど内容は野辺地駅の「とりめし」をデラックスにして鶏の照り焼きの量が増えてる感じだけど夕飯には量が少ないけど昼食が遅かったのでまぁこれで充分か。

 

青森駅の駅弁といえば1978年から1982年くらいまで青森駅伯養軒「ひなどり弁当」に思い入れがあって青森らしくイカリング揚げなどが入ってた当時500~600円の駅弁であった。上り臨時急行「八甲田」は浅虫温泉(20:12)と小湊(20:21)に停車しながら野辺地(20:38-39)に到着するが区間利用で下車する人ばかりで乗車客が皆無なので盛岡駅までは大きな動きが無さそうだ。わかどり弁当の夕飯を済ませた自分は姫帆立貝の貝柱燻製でカップの濁り酒を飲み、まったり座席夜行の雰囲気と濁り酒に酔いしれていると三沢(21:02)に到着。

 

21時なので前の席と後ろの席をリクライニング(奇跡か故障か簡リクがロックするんだけど)させてそこに息子を足伸ばしたまま寝かさせて僕は普通に前の席に足を投げ出して寛いでいるけど2泊連続の座席夜行は疲れたのか減光する前に寝てしまった。列車は八戸(21:20-21)に到着すると少しは纏まった乗車があったけどそれ以上に下車客もあって車内は少なくなる一方で8号車の現状では1人1BOXで占有しても間に合うくらいの乗車率なのが笑ってしまうけど翌日平日の夜行列車が原因か?青森県最後の停車駅になる三戸(21:37)を過ぎると目時~金田一温泉間の馬淵川橋梁で岩手県へと入った。

 

列車内の照明はいつの間にか減光されて二戸(21:51)・一戸(21:58)・沼宮内(22:29)に停車すると岩手県の県庁所在地駅で、杜の都でも有名な盛岡(22:53-57)に到着。しかし昨夜の寝不足が祟って盛岡駅を発車する前に寝てしまったが以下は就寝中の停車駅と時刻・・・花巻(23:25-25)・北上(23:36-36)・水沢(23:50-50)・一ノ関(0:10-11)・黒磯(4:06-13)・宇都宮(4:42-53)。2:40頃に目が覚めたら松川駅へ運転停車中だったのだが松川では青森を21:00に発車した臨時特急「はくつる82号(8002M)」を先行通過させるための運転停車駅だったが該当日は8002Mの設定がないので時間調整だけで終わり自分もすぐに寝たようだ。

 

結局朝、目が覚めたのは5時過ぎの小山(5:14-14)入線と当時で寝惚けたまま関東地方に連れらて来た感じで同じく爆睡していた息子を起して歯磨きと洗顔を則して自分も歯ブラシやタオルを持参して洗面所へ行く。寝台車と違って座席車は1両に洗面所が1ヶ所しかないので2人で交代に使い、トイレなどにも行くと「八甲田」は東大宮~蓮田を通過して土呂~東大宮を走行中だった。急いで下車準備が終ると大宮(6:04-05)を発車するところだった。流石に初日は始発の新幹線移動で早起き、二晩連続座席夜行の仮眠で流石に疲れてしまい、赤羽(6:19)に到着して残り僅かを走ると上野駅13番線へ6:30無事到着。

 

上野駅からこのまま自宅まで帰るか?と息子に問えば予定通りに「あさま」「しなの」「あずさ」乗り継ぎの旅に向かうとの事で  ┐( -”-)┌ ヤレヤレである。GO・GOフリーきっぷフル活用の旅も楽ではない。

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★

 

急行 八甲田(下り・自由席)

1996年7月27日(土曜日)、上野駅13番線で息子と青森行き臨時急行「八甲田」の入線を待っていた。7月27日から7月30日まで僕の勤務先は1回目の短い夏休みなのでGO・GOフリーきっぷを使って子供と3日間、JR東日本管内の新幹線や特急を乗り回そうと子供が発案したのでそれを実施する旅で2泊は宿に泊まると経費もかかるので夜行列車移動で「八甲田」を宿代わりにするだけで本日は上野6:00発の東北新幹線・始発臨時「やまびこ23号」で動いて一旦帰宅して風呂に入って着替えて夕飯を済ましてから上野駅まで戻ってきた。(やまびこ23号は途中停車駅が大宮と仙台だけの速達列車)

 

臨時急行「八甲田」(MOTOトレインのオハネ14とマニ50も連結)は7/26から運転を開始しており指定席が4両、自由席が5両で8号車と9号車が禁煙自由席なので8号車の乗車位置に入線1時間前から息子と並んで待っていると21:28に尾久客からの推進運転で回送8105レが入線した。上野駅からの夜行列車で発車48分前に入線するのは異例の早さだと思うが早いのに越した事がない。夏休みの土曜日という事で「GOGOフリーきっぷ」も使えるため、需要があるのか自由席はそこそこの人数が集まり、今宵は1BOX占領は無理なようである。

 

早速8号車の扉が開くとオハ14-49に乗り込み、進行方向右側の窓が広いシートに荷物を置いてから機関車を見に行くと先頭には田端運転所のEF65-1026が、連結されているのを確認してホーム売店で缶ビールと息子の好きな飲料を買ってから車内に戻ると半分以上の席は埋まり、1BOX貸切は諦めて正解だった。ビールが温くなるので発車前から乾杯して子供が家から持ってきたオヤツのベビースターラーメンをツマミに飲むとビールによく合うのが笑いだが上野駅を22:16に発車すると8号車の自由席は約7割が埋まった。

 

急行「八甲田」は1994年12月改正までは長年上野駅発車が21時台発(旧客や12系時代は19:10前後発車)だったけど改正後は22時台に変わっており、時刻が変わってからの下り「八甲田」に乗るのは初めてなのでワクワク感があるけど時間も遅いので子供を早く寝かすが、一向に寝る気配がなくて困っていたら大宮駅(22:42-43)を発車した。土曜日なので仕事帰りの乗車はなく、車内は80%以上が旅行者のようで中には乗り鉄しているような人も見受けられた。隣の20代後半の男性2人も会話の中に"14系"や"簡易リクライニングシート"という一般人が使わない言葉を使っていたのを私は聞き漏らさなかった。

 

息子もやっと寝てくれたので昼間に岩手県内で購入したワンカップ濁り酒が鞄に入ってる事を思い出して通路側のテーブルを引き出してちびりちびりと飲む。オハ14-49は青森運転所の車両なので通路側にも小型のテーブルがあって便利であるが、小山駅(23:20-21)や宇都宮駅(23:43-44)にも停車しながら「八甲田」は夜の静寂を抜けて北へ向かう。宇都宮駅を発車してから少し寝たみたいだけど黒磯駅(0:26-34)の停車で目が覚めたので機関車交換を見に行くと青森運転所・東派出所のED75-1035が連結されて車内に戻って黒磯発車を待たずに寝た様である。

 

次に目が覚めたのが運転停車の仙台駅(3:09-24)でホームの横を青い列車が通過するので一瞬寝ぼけてて分からなかったけど「はくつる」のテールマークが見えたので乗務員交代と「はくつる」を先行させるための運転停車だと分かったのであるが因みに運転停車の福島駅や上り臨時急行「八甲田」とのすれ違いが行われたであろう桑折~藤田の離合は夢の中。以降は就寝中の停車駅と時刻・・・一ノ関(4:33-35)・水沢(4:55-55)・北上(5:09-09)・花巻(5:21-21)。2度目の目覚めは盛岡(5:51-6:04)で車内放送で強制的に起されてめちゃくちゃ眠くて弱っていたが盛岡しか朝食が買えないのでまだ寝ている息子を残して降りた。

 

駅弁ワゴンから特製とりめし(村井松月堂・520円)と五色弁当(むつ弁・520円)と飲み物を購入して車内に戻ると息子は起きていた。車内に戻り、まだ眠いのでもう少し寝かせてもらいウトウトしていたら沼宮内(6:31-31)は夢の中で子供に起されると小鳥谷~小繋の十三本木峠の勾配を登っている最中だった。一戸(7:01-01)を発車すると息子に盛岡駅で購入した二つの駅弁を見せて選ばせたら案の定"特製とりめし"を選んでくれたので僕は五色弁当で2人で朝ごはんにする。食事中に二戸(7:08)に停車して金田一温泉~目時間で青森県へ入ると三戸(7:21-21)に到着。

 

苫米地~北高岩の有名撮影地を通過すると今日も何人かが三脚を立てて八甲田+MOTOトレインへカメラを向けてる人が何人かいたが今年のゴールデンウィークも自分はここで14系寝台車が3両連結された「八甲田」を撮影している。八戸(7:39-39)を発車すると前の席が空いたので回して1BOXにして靴を脱いで前の席に足を伸ばすと癒される感じがする。盛岡駅の自販機で購入した缶コーヒーを飲みながら息子に今夜も座席車の仮眠で大丈夫かと念を推すが座席夜行2連泊初経験の息子が心配になって一声掛けたのだけど本人は至って余裕の様だ・・・蛙の子は蛙みたいである。

 

流れる景色を見ながらぼーっとしていると寝不足により瞼がくっ付きそうになるけど今夜も座席夜行がツライところだ。ウトウトしながら外は暑そうな夏景色の車窓を眺めていると三沢(7:59-59)と野辺地(8:24-24)に停車して1997年5月6日で運転休止になる噂が流れている南部縦貫鉄道への乗り換えであろう鉄道ファン5~6人が8号車から下車した。日本最古の鉄道記念物に指定されている野辺地駅の鉄道防雪林を見ながら野辺地駅を発車するとまた居眠りが始まる。奥羽線と違って単調な東北線の景色は飽きてくるのだが息子は14系の窓ガラスに顔を付けるくらいに近付いて必死になって景色に注視しているのが対照的だ。

 

小湊(8:40)を発車して西平内駅を通過してトンネルを出ると待望の陸奥湾の海が右側に近づき、浅虫温泉(8:49)を発車すると更に海の横を走って息子も歓喜の声を上げた。この海を見て津軽海峡と早合点した20代前半の自分が恥ずかしいけど、むつ市脇野沢までは陸奥湾なのである。野内駅の手前で陸奥湾と別れると終着駅の青森駅までは15分なので下車準備を終えて青森到着を待っていると青森信号所を通過して滝内信号所と青森駅へ向かう線と分かれると9:09に青森駅へ入線した。臨時急行「八甲田」(8105レ)は青森9:39発、臨時快速「海峡83号」(8143レ)函館行きに変身する。

 

         ★★★★★Memories of the night train★★★★★

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

寝台特急 北陸(B1)

1996年6月11日(火曜日)、 賞与支給日の翌日に急遽金沢出張が決まり、20時までは自分本来の仕事もあって新幹線と特急乗り継ぎでは間に合わない・・・夜行列車で行くしかなく、出張自体は15時くらいに決まったので特急寝台券の確保だけしておこうとソロに空があるので2号車11番ソロだけは確保しておいた。21時まで残業してこの時間帯の上野駅は駅弁が無い可能性も高く、職場近くの22時まで営業している中華料理屋でビール飲みながら夕飯を済ましてから上野駅へ向かった。

 

上野駅15番線ホームの先頭で「北陸」を待つと22:48に推進運転でスハネフ14のディーセル発電機の音も高らかに入線すると先頭に連結されていたのは長岡運転所のEF64-1032を確認後に2号車まで延々と戻るのが無駄な努力というか意味が無い事だと思ったりしながら心の葛藤が起きている。2号車のスハネ14-703(オハネ14-106が種車)へ乗り込むとソロとシャワーカーの合造車でシャワーの待合室というか談話室みたいなのがあって3号車には飲み物の自販機があるのが有り難い。

 

上野駅を23:03に発車するとすぐに金沢車掌区の車掌が来たのでキップ類を見せて個室カードキーを貰いシャワーカードを購入したらすぐに北斗星タオルとシャンプー・ボディーシャンプーが入ってる出雲3・2号のシングルDXへ乗車した時に貰ったファスナー付きのポーチへ入れて浴衣を持参して同じ号車のシャワールームへ行くとA室は使用中だったけどB室は空いてて、バスマットが乾いているので1番風呂ならぬ1番シャワーを頂いて昼間の汗を流した。出張が多いので勤務先のロッカーの中には代えのワイシャツやネクタイに下着や靴下と個室のシャワーに対応出来るグッズ(他にも歯ブラシや小型シェーバーなどが格納してあるのである。

 

車内備え付けの浴衣に着替えて個室に戻り、さっきまで来てたワイシャツとスーツはハンガーにかけて濡れたタオルは100均の折り畳みハンガーにかけておく。3号車の自販機で缶ビールを買って喉の渇きを癒すとやはりシャワー後のビールは美味くてゴクゴクと一期飲みしたら列車は大宮駅(23:28-30)を発車したので、自分も今夜はこの辺で寝る事にするが因みに乗車した2号車11番ソロは私好みの1階部屋でした(ラッキー)。以降は就寝中に停車した駅の時刻・・・高崎駅(0:28-30)・水上駅*(1:21-23)・長岡駅*(2:46-3:10)・直江津駅*(4:06-08)・糸魚川駅(4:37-37)・魚津駅(5:16-16)・富山(5:36-38)・高岡(554-54)「*が付く駅は運転停車」。

 

深夜に2回くらい目が覚めたけど昨夜は0時前に寝たにも関わらず眠くて寝不足気味であるが「北陸」は始発駅の上野発車が23:03と遅い時間なのでどうしても6時間前後くらいしか寝れないので寝不足になる傾向がある寝台特急でもある。出来れば上野駅発車を昔みたいに21時台や22時台に戻すか、チェックアウトサービスを復活させてもらいたいものだ。朝起きたのは高岡発車けど金沢まで残り36分なので急いで歯磨き等洗面を終らせて個室に戻って下車準備を行うが、今日の日の出時刻は4時半なので眩しい太陽が目を覚ましてくれるようだ。

 

列車は津幡駅(6:17-18)へ停車して車窓右手に金沢運転所のヤードが見えて来ると終着駅の金沢駅も近い。毎回寝台特急「北陸」に乗るシーズンは秋だったり冬だったりで日の長い時期に乗った事があまりないのでいつも金沢到着まで車窓は薄暗いイメージがあるのだが今日は早くから明るくていつもの「北陸」らしくない「北陸」であったけど6:30に終着駅の金沢駅へ到着した。牽引機を確認しに専用へ移動すると長岡運転所のEF81-144に北陸のヘッドマークが付いた姿を目に焼き付けて回送列車を見送ってから早起き喫茶店でモーニングタイムを注文してコーヒーをお代わりしてから出張先へ移動した。

 

         ★★★★★Memories of the night train★★★★★

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

寝台特急 富士(B1)

1996年5月31日(金曜日)、小倉駅4番線で上り寝台特急「富士」を待っていた。実は北九州市小倉区の出張が終り、東京駅行きの最終新幹線「のぞみ28号」にも間に合うし、飛行機なら20時まで羽田行きのフライトがあったけど翌日は土曜日で休みなのでブルートレインで帰ろうかと鉄の虫が疼き始めていた(苦笑)。仕事は17時で終わったため、早めに小倉駅みどりの窓口で先発「富士」と次発「はやぶさ」の1人用B個室ソロの空席を調べてもらうと「富士」のハコ(1)に空席があるので真っ先に寝台特急個室券を押さえてもらい、乗車券は都区内まで頼んで一緒に支払い。

 

飛行機(福岡⇒羽田)だと25,350円、富士だと21,870円で3,480円分JRの「富士」の方が安く、飛行機だと博多駅までの乗車券1,090円や福岡市営地下鉄220円、羽田空港から浜松町駅までのモノレール代やJR山手線・京浜東北線の運賃も別途掛かるので格差は広がるばかりで何と5610円の差で驚き(今夜はソロで豪遊するぞw)。「富士」の発車は19:10なので夕飯を食べるにはまだ早く、やはり駅弁だなと思い小倉駅前にある百貨店・井筒屋に出店している折尾駅の駅弁(東筑軒)売り場で"かしわめし・おりお(900円)"という副菜が沢山付いた豪華版のかしわめしを購入しておく。

 

家族への土産でもある昆布漬け辛子めんたいと銘菓玄海巻を買ってからホームに入ってお疲れ缶ビール2本をホーム売店で求めて「富士」12号車乗車位置で待っていると大分運転所のEF81-413が富士のマークを付けて南宮崎からの寝台特急「富士」が19:09に入線した。早速12号車(オハネ25-1001)に乗ると2番ソロは2階個室だが進行方向を向いて座れる仕様だけど台車の真上なので揺れと騒音が厄介だがラスト1部屋のソロなので贅沢は言えない。発車(19:10)と同時に缶ビールを開けてひと口ごくりと飲むと美味い・・・寝台特急車内で飲むビールは最高である。

 

関東であれば発車時刻の19:10は夏至でも日没時刻だけど北九州市の日没時刻は19:22なのでまだ明るいのがあり難く、夕日が綺麗で今日も無事に終わりそうだ。ビールのツマミは小倉のスーパーで見つけた1人分くらいにちょうどいい、辛子明太子の切れ子で食べやすく、本場だけあって美味い。小倉から7分で門司(19:17-18)に到着するとすぐに発車だが機関車交換しないので停車時間が僅か1分であった。AC20kV(60Hz)からDC1.5kVへ電源切替すると全長3,604mの関門トンネルに突入して下り勾配25‰を駆け下りてから海底部分を走り、上り勾配を駆け上がると下関(19:26-31)に到着。

 

下関駅では真っ先に降りて明日の朝食になる駅弁(Jダイナー謹製の高くて美味しくない弁当は避けたい)を買いに売店へ行くとふくすしとフグ鰭酒を購入してから牽引機確認しに先頭へ行くと下関運転所のEF66-44が唸っていた。下関を発車すると小倉のデパートで購入した折尾駅の「かしわめしおりお」を夕飯に頂く。通常のかしわめしに海老・鮭・玉子焼・蒲鉾・ウィンナー・巻き昆布などのおかず類が、豊富なデラックス版である。飛行機との差額5,610円で夕飯代と朝食代に飲み物代と土産代がチャラになってラッキー。

 

外は漆黒の闇が迫り、2階のソロ個室から車窓を眺めていると宇部(20:07-08)に到着すると纏まった乗車があり、しみじみ考えてみると出張で「富士」に乗るのは初めてで過去に「あさかぜ」や「みずほ」は仕事で乗った事があるけど更に出張で九州へ行ったのも初めてとなる。久々に乗るオハネ25-1000番台のソロは自分にとって一番優れているソロだと思う(他のソロにない、コンセント・デジタル目覚まし時計があって読書等も調光式でテーブルも大きくてゴミ箱上のミニテーブルも重宝する)けど何たって使いやすい。下関駅で買ったワンカップのフグの鰭酒を飲みながら夜汽車気分も盛りあがる。

 

列車は防府(20:41-42)・下松(21:10-11)・柳井(21:32-33)に停車しながら自分も浴衣姿に着替えて寝台に横になりながら湾曲した窓から星空を眺めて時おり聞こえるEF66のホイッスル(汽笛)とレールと車輪が、刻む走行音を聞きながら広島到着前に寝てしまった様だ。就寝時間中の停車駅と時刻は以下のとおり。(0:0広島(22:31-35)・尾道(23:46-48)・福山(0:03-0:04)・岡山(0:45-47)・*大阪(2:55-57)・*米原(4:20-22)「*印は運転士交代の運転停車」名古屋(5:18-21)。米原駅では電源車隣の荷物車の荷扱いの運転停車も含む。

 

朝は豊橋通過くらいから目が覚めたが8時間近く寝たのですこぶる気持ちのよい朝であるが浜松(6:31-33)から起きて活動開始する。9号車のロビーカー(オハ24-704)へ行って缶コーヒーと缶入りお茶を購入して個室に戻ってコーヒーを味わった後に昨夜の下関で購入した「ふくすし(800円)」で朝食にした。朝から寿司ってのも変だけど自分的には嫌いじゃないので特に違和感はなく、朝から美味しく頂いた。列車は静岡(7:31-32)を発車すると通路側の窓から由比~興津~蒲原周辺の海を眺めて富士川駅を通過すると富士川橋梁を渡るが肝心の富士山は頂上以外は雲に覆われていたが富士駅(7:59-58)へ定刻で入線。

 

富士駅を発車すると身延線と分かれて海から割りと近い所を走るけど海は全く見えずに沼津駅(8:16-17)に停車して御殿場線と別れると富士山バックに鉄橋アングルを真横に撮影できる黄瀬川橋梁を渡って三島駅を通過。三島~函南にある竹倉温泉に近い富士山バックの撮影地でも富士山は雲を被っており、見えないのが残念である。函南駅を通過して全長7,804mの丹那トンネルを出ると熱海駅(8:34-35)を発車した。湯河原駅通過から相模湾が見えるので通路側の窓に移動して海と撮影地を確認する。真鶴直線、江之浦、白糸川橋梁、米神、玉川橋梁、S字カーブの根ノ上踏切など。

 

小田原駅を通過すると東海道線の旅客線と貨物線に別れるので個室に戻ってすれ違う貨物や追い抜く貨物の牽引機を確認していると大船駅の手前で車掌が個室キーの回収に来て戸塚の先で貨物線は別ルートへ分かれて旅客線を行く寝台特急「富士」は清水谷戸隧道に入り、横浜駅(9:35-36)に入線。下車準備を終えてネクタイをしてスーツを着ると旧品川運転所付近を通過して気が付くと車掌の長い到着放送が聞こえて定刻9:58に東京駅9番線ホームに到着した。今日から6月だが9日後には賞与支給日なので帰宅する足取りは軽かった。

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★

 

🍴夜行列車の味・西日本以西🍱

2021年7月5日に🍴夜行列車の味・中部~関西🍱  をリリースしてから2ヶ月が経過したので続きとなる兵庫県より西や南に当る東海道山陽本線だと尼崎駅から山陽本線の終点である門司駅までと山陰線だと梁瀬駅から幡生駅と四国と九州全域となってエリアが広いけど夜行列車の味という点では山陰本線山陽本線と九州が中心となり四国はオマケ程度になります。

 

【四国】自分が四国内で夜行列車に乗ったのは高松(0:37)から中村(7:51)へ行く普通夜行の731Dと窪川(20:37)から高松(3:32)へ向かう快速夜行の762Dだが高松駅の発着時刻からして駅弁は売っておらず、窪川駅も中村駅も駅弁販売の扱いはない。しかし瀬戸大橋線本四備讃線)が開業すると出張で乗った寝台特急「瀬戸」で高松駅に到着後、駅構内で食べた立ち食い讃岐うどんを食べたり、上り「瀬戸」では立ち食い讃岐うどんを食べてから「瀬戸」車内(2021年7月26日のブログ記事参照)で高松駅で購入した駅弁のあなごめしを食べたり高松の美味い物を味わっている。

 

更に四国内の乗り鉄旅で高松駅で購入した「あなごめし」を宇高連絡船と経て宇野駅から乗った上り「瀬戸」車内でも食べている。【山陽本線山陽本線を行き来する夜行列車の殆どは下り列車だと東京発の寝台特急が中心なので下り列車での兵庫県岡山県広島県での駅弁購入や駅のうどん・そば立ち食い利用はないけど山口県からの利用は多い。広島駅で購入した駅弁は出張で乗った「あさかぜ2号」・「あさかぜ4号」に乗車する前に「しゃもじかきめし」や「あなごめし」「あなご寿司」は定番でよく買ったし、好んでよく食べていた。

 

更に徳山駅の「あなご飯」は2本の列車が統合された末期の「富士・はやぶさ」の車内でも売られていたし、yahooブログ時代のフレンド限定に公開した嫁との2人旅で「SLやまぐち」乗車の帰路に上り「あさかぜ」乗車の際に購入した小郡駅(現新山口駅)のかしわめしなど夜行列車に絡む想い出がある駅弁も多い。そして東京発着の九州方面寝台特急に乗ると思い出すのは下関駅の「ふくめし」「ふく寿司」「そぼろ弁当 ふくきたる」のフグ駅弁シリースである。山口県はふぐの事を濁らずに「ふく」と呼ぶ。

 

山陰本線】山陰線の兵庫県以西で夜行列車で駅弁を買ったのは鳥取駅、米子駅松江駅出雲市駅くらいしか思い当たらないが、寝台特急「出雲1.2.3.4号」と「山陰」「だいせん」で駅弁と関連性が濃いのは「出雲」。鳥取駅は朝の「出雲3号」で朝食代わりの(元祖かに寿しを買ったり、逆に「出雲2号」ではホームの立ち食い蕎麦スタンドで夜食として購入した「元祖かに寿し」を翌朝の朝食として食べたり、実家へお持ち帰りして親が食べたりと寿司駅弁は土産としても喜ばれた。日本国内で売られているかにすし駅弁の中では鳥取駅の元祖かにすしがピカ一だった事は言うまでもない。

 

鈍行夜行「山陰」や寝台特急「出雲」の米子駅でも朝食で買った駅弁の種類は少なくなく、大山おこわ・かに寿司・くいしいぼう吾左衛門弁当を購入している。更に出張の帰りに乗った「出雲」では松江駅で大和シジミのもぐり寿し・お好み弁当を購入して出雲市駅では予約しないと買えない出雲そばとかに寿しセットになったそば弁当を購入している。更に「出雲3号」の車内販売で売りに来る浜坂駅の松葉かに寿しも食べたけど山陰線はかに寿し駅弁パラダイスであった。そういえば苫小牧駅函館駅佐賀駅他にもカニの寿司駅弁があったように思うが及第点未満なのが残念なところ。

 

【九州】さて残るは九州のみとなったが先ずは門司駅から紹介しよう、下関駅と同じく客車の夜行列車に乗ればEF81orEF30からED76などに機関車交換するので駅弁が買いやすい駅で特をしているように思える。下りは下関で買うパターンが多いので上りの夜行列車がターゲットになり、自分はかしわめし(折尾駅西都城駅鳥栖駅のかしわめしに比べると知名度はかなり低い)を購入した事がある。少し移動して博多駅では上り「あさかぜ4号」のお名残乗車に仲間たち4名で4人用B個室カルテットに乗車した際に博多駅で夕飯用に三色弁当という3段の弁当を購入している。

 

1段目はミニかしわめし、2段目はめんたいこ・蒲鉾・焼き魚・薩摩揚げ等が入ったミニ幕の内弁当で3段目は寿司飯の上に酢で〆た鯛・甘辛く煮込んだ椎茸他をあしらったミニちらし寿司のセット弁当。更に列車撮影で25形寝台車の「かいもん」へ乗車した時には始発駅の門司港へ行く前に博多駅飛梅弁当というお握りとおかずがセットになった駅弁も購入している。しかし見本の見た目が巻き寿司に見えたので買った訳で何だか騙されたような気がして納得いかない思い出がある。熊本駅でも上り「はやぶさ」の夕飯用に購入した中華弁当を購入しているけど多種多様の中華おかずが美味しくて価格の割にボリュームがある駅弁だった。

 

更に家族旅行で往路:「はやぶさ」、帰路:「富士」のフル乗車で南九州の温泉に行った1997年遅春にも4種類の駅弁を寝台特急乗車前に購入したり、車内販売から購入して途中駅で予備編成を連結する際にも購入している。大分駅では上り「富士」乗車中に予備編成連結と機関車交換(ED76⇒EF81)の停車中にあじすしで鯵の握り寿しなのだがシャリとネタの間に紫蘇の葉、生姜、ネギ、ゴマの薬味を添えて青魚独特の生臭さを消した一品。6個入りなので家族と2カンずつ食べたのだが500円という価格の割に美味しかった。宮崎駅の椎茸めしは昔から有名な駅弁で椎茸といえば宮崎が定番で乾燥したどんこ椎茸は高級品でもある。

 

「富士」の車内販売で売っており、賞味期限を確認すると夕飯までには大丈夫なので家族の3個分を購入したが、ご飯部分は甘辛く煮しめた椎茸とソボロ肉と錦糸卵が鳥めしご飯の上に盛りつけた宮崎名物の名物でかむと煮汁が出る干し椎茸が美味かった。また富士に乗る前に昼食用で買った都城駅牛めしと五目とりめしも大当たりの駅弁で都城駅牛めしは昔から定評があったが人参などが入った炊き込みご飯の上に甘辛焼きにした和牛のロース肉が敷き詰めてあり、駅弁のラベルが郡山駅・東北軒(撤退)の磐梯牛めしのラベルにそっくりなのがご愛嬌。

 

牛めし以外に五目とりめしも購入しており、妻子は五目とりめしを僕は残った牛めしを食べる事になったのだが家族で食べ比べたら五目とりめしは炊き込みご飯の上に若鶏照り焼き、鶏そぼろ、桜でんぶ、錦糸卵などが盛り付けられた弁当で甲乙つけがたい美味さであった。僕は個人的に九州の駅弁はそれほど評価はしてなかったのだが都城駅の駅弁屋(みづま本店)も2002年に撤退したのでもう食べる事は出来ない。最後に日本だけの食文化である多くの駅で売られていた駅弁も列車の駅停車時間の短縮や日本人の食事情の変化に駅弁屋の後継者不足などで販売駅数や販売量が年々減っている。

 

不景気やコロナ禍などにより更に撤退する駅弁屋は増えるだろうが頑張っているところもあるので夜行列車ファンとして駅弁ファンとして今後が気になるところだ。シリーズで続けた🍴夜行列車の味🍴はこのブログで打ち止めとしたい。東京駅へ行ったら各地の駅弁を売ってる「駅弁屋 祭」「エキュート東京」にでも行こうかな?。

 

         ★★★★★Memories of the night train★★★★★

 

 

 

  

 

 

 

 

夜行列車の趣味仲間たち

7週間に渡ってメインコンテンツの「想い出の夜行列車レポート」が続いたのでこの辺で違うカテゴリーのブログネタを入れたいが、夜行列車ブログなので勿論題材は"夜行列車"である。定期夜行列車が1往復(東京⇔岡山)しか走っていない2021年にこんな事を書くのは時代錯誤(苦笑)になるけど夜行列車をひとつの媒体として出会った鉄道趣味仲間は私個人の良き財産でもあり、この年齢(現在63歳)になっても飲みに行ったり、年賀状の交換などでよいお付合いをさせてもらっている。

 

過去に何回も書いてるけど1975年、高校2年生の北海道修学旅行で初めて乗った寝台特急ゆうづる1号」ですっかり夜行列車の味に嵌った自分だけどそれ以前より夜行列車には興味があった。高校1年生の時から同じクラスメイトで友達になったM君から夜行列車に付いて色々聞いて情報だけは先行していたが幼少の頃から両親の実家へ年末年始とお盆時期に夜行列車で帰省してたM君は夜行列車の乗車回数も多く、僕も彼から夜行列車については座席車や寝台車にグリーン車など経験話を聞かされて自分にとっては正に憧れの存在。因みに自分の父親や母親の実家は関東だったので年末年始やお盆に帰省しても夜行列車に乗る機会はなかったのである。

 

僕が夜行列車や鉄道全般の趣味を今まで長年間無事に続けて来れたのは一重に趣味仲間のお陰である。M君から紹介されて高校1年生の頃に加入した際、鉄道趣味団体での友達を媒体にして出来た友達や実際に夜行列車旅を行って車内や駅などで声をかけて作った友達は数多いけどその人たちにどれだけ助けられて勇気を貰ったか定かではない。自分は現在63歳で趣味のネット友達(ブログ友達やツイッターSNSコミュなど)は多いけど年賀状を交換するリアルの趣味友達は年齢の割には多いかも知れない。

 

このブログの思い出夜行列車レポートにも出てくるM君、S氏は高校時代からの友達だし、車内で出会って仲良くなった人もいて、更に撮り鉄に転向してからも撮影地などで知り合って名刺交換でその後に年賀状のポストカード交換まで至って仲間になった人も少ないくない。自分は撮り鉄に転向しても夜行列車で移動したけど夜行列車が減るとマイカーでの移動に変わる事になるのだが趣味の友達は増え続けた。年賀状だけの付き合いもあれば一緒に撮影したり、一緒に飲みに行く友も増えて好きな趣味話をしながら飲むお酒は美味しくて人生の栄養剤とさえ思えた程である。

 

一緒に夜行列車へ乗る友も増えて趣味の充実と比例していたのが何とも嬉しかったが、年々古き良き、夜行列車が減っていく現状が恨めしく、現在では定期夜行列車においては「サンライズ出雲・瀬戸」しか残ってないのが何とも悲しく恨めしい。その「サンライズ出雲・瀬戸」でさえあと何年走るのかは不明だけど車両の経年劣化により、そんなに長くは走らないだろうと踏んでいる。夜行列車の車内や旅行中に仲良くなったり鉄道系のブロガーのオフ会や鉄道趣味団体内で仲良くなった友達とか増えたのだが夜行列車が衰退して北斗星が廃止になるといよいよ僕の夜行列車趣味も終わりかと思えた。

 

北斗星が完全廃止になった際に僕がブログで想い出夜行列車レポートという過去の乗車記を紹介する「夜行列車の想い出」というタイトルのブログをExciteブログで作成して7ヶ月後にyahooブログへ移転して現在はyahooブログ閉鎖でHatenaブログへ引っ越した訳だがyahooブログ時代のコミュからも多くの友達というかファンが出来てコミュをSNSへ移転している。ブログのSNSっても大した事は出来ないけどツイッターアカウントで毎週2回くらいツイキャス配信で夜行列車ネタをいろいろ話したり、国鉄時代の夜行列車想い出話など盛り上っている。

 

乗る夜行列車がほぼ皆無(早々サンライズばかり乗れない)になってしまった現在では夜行列車乗り鉄趣味は停止したも同じで(撮り鉄はネタがあれば車で撮影に行く)ブログ作成と鉄道趣味団体の投稿くらしかもう残っていないかと思っていたがブログのコミュがSNSTwitter)に移行したらツイキャスとの出会いがあってそこで夜行列車ネタや鉄道ネタで配信始めたらツイッターで配信告知を見たコミュの人が見に来てくれてコメントやコラボ機能で上がってもらって一緒に夜行列車ネタ他で雑談する楽しさを覚えてしまい、趣味の楽しみが増えてしまった。

 

2020年からのコロナ禍でオフ会とかが出来ないからリモートツールは便利で気軽なのがとてもよく、自分のブログコミュ・SNS以外に鉄道趣味団体もお酒を飲みながらSkpyeやLINEのオンライン会議機能を使って雑談したりするのが増えている。コロナ禍のおかげで集会(例会)や二次会の飲み会も自粛によって廃止となり声でのコミニュケーションを図るにはネットでのリモートツールではオンライン飲み会、オンライン集会、オンライン編集会議など今までリアルでしか眼中がなかったコミュニケーションはコロナが収束するまで今後も増えそうである。

 

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★