夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

寝台特急 あけぼの(B1)

1996年5月5日(日曜日)、ゴールデンウィーク後半の下北半島を中心としたドライブ温泉宿旅行を終えてレンタカーも返却して青森駅で上野行きの寝台特急「あけぼの」入線を家族3人で待っていた。明日で長かったゴールデンウィーク10連休もいよいよ終わりになるのが残念で過ぎ行く時間の経過がとても早かったがいよいよ明日で長期連休も終わりである。発車時刻の19分前に上野方へED75を連結したままDE10が「あけぼの」編成の回送が入線すると扉が開いて9号車のオハネ24-554へ乗り込む。

 

実は岐路の「あけぼの」は悪評高き独房みたいな狭いカプセル状のソロである事は家族に帰りの一人用B寝台個室は狭いからねとは言ってはあるのだが当日乗車してどんな状況になるのか楽しみでもあった。前の家族旅行で乗った「はやぶさ」「富士」「北陸」ソロでは子供と嫁は2階の評価が高かったので2人には2階個室の階段で隣合わせの6番(2階)と10番(2階)の指定券を渡して自分は余り物で少し離れた15番(1階)で割り振っておりいよいよ狭いソロとのご対面であるが取り敢えずは僕の個室に荷物だけ置いてテンキーで鍵を掛けてから嫁は飲み物購入、僕と子供は機関車チェックに急ぐ。

 

先頭の機関車に近付くといつものED75-700番台と違うのでもしかしてオリガマ(オリエントサルーン色の専用機関車)でゴールドライン3本身に纏った青森運転所・東派出所のED75-711だった。711の「あけぼの」はまだ2~3往復走ってる頃に福島~黒磯間で何回も撮影しているけど福島運輸区から青森東運転所へ転属してからは本当に久々の対面である。9号車15番ソロ(1階)へ戻ると嫁が何でこの個室がこんなに狭いのって文句をいいながら切れていたが嫁も子供も北斗星はやぶさ、富士、北陸のソロは経験済みだけど信じられないくらい狭い閉所恐怖症には耐えられないこのソロは初めてなのだ。

 

到底狭い個室に3人入るのは無理なので暗証番号による部屋ロックのやり方をレクチャーして偶々通った車掌に指定券と乗車券を見せて30分か40分くらい空いてるB寝台で家族一緒に弁当を食べたい旨伝えたら11号車の1番と2番を教えてくれたので青森18:01発車と同時に移動した。上り「あけぼの」の大館駅が19:16なので営業時間外なため、弁当の予約は出来ず、かといって秋田だと20:53着だと子供にとっては夕飯に遅すぎる時間なので青森駅で調達するが例によって予約専用の2段弁当「津軽路弁当(1030円」を電話で申し込んだ。

 

リンゴの産地らしく夕飯の飲み物にも変化をつけて僕と嫁は津軽リンゴワイン、息子にはシャイニー・アップルジュースで夕飯を済まして家族で車窓を見ながら談笑していると弘前(18:37-38)に到着。11号車の開放B寝台を撤収して各自の個室に戻って2階ソロの階段続きの6番と10番ソロの嫁と子供にインパネの操作方法と起きている時と寝る時の仕切りの使い方で居間と寝台の扱い方をレクチャーして注意事項も伝えてから明日朝は上野駅に6:58へ到着するから遅くまで夜更かししないように念を押して自分の個室15番へ戻ると大鰐温泉(18:49-49)を発車するところだった。

 

寝台特急「あけぼの」は大館(19:16-17)に到着したので6番ソロと10番ソロの様子を見に行くと嫁は狭いを連発していたが高い位置からの車窓には満足しているみたいで子供の部屋へ行くと個室内の証明を全て消して窓ガラスに顔をべったり付けるように夢中で車窓を目で追っていたが狭さは感じないようである。自分も5番ソロに戻ってやっぱり狭いなぁ~と思いながらも「あけぼの」ソロは出張の帰りに秋田からソロには何回も乗っているのでこの狭さも慣れたけど流石に全区間のフル区間乗車だとキツイ。狭いながらも開放B寝台と同料金で乗れるのは有り難いものである。

 

鷹ノ巣(19:35-35)に到着した頃に息子が様子を見に遊びに来たので狭い個室に2人で入って暫し話すが我々大人に比べて小柄な子供にはカプセルみたいなソロ個室は秘密基地みたいで上々との事で気に入ってるみたいだ。列車は東能代(20:00-00)や八郎潟(20:26-26)に停車しながら息子とCタイプ無線の「1002列車、発車~」を聞きながら色んな事を話して過ごしたら通過駅の井川さくら駅周辺で485系9B(下り特急白鳥?)とすれ違い、自分の個室に戻る息子を「早く寝ろよ」と一声掛けてから自分も個室で寛ぐ。秋田(20:53-55)に到着したのでペットボトル飲料2本と甘くない缶コーヒー買ってホームを歩いていると窓からこちらを見ていた息子と目が合う。

 

9号車に戻って6番と10番に好みの飲み物を配り、子供にはトイレ以外に個室から出ちゃだめだよと再度念を推して自分の個室に戻って浴衣に着替えてから寝台使用に切替えてから足を伸ばしながら車窓を楽しんでいると通過駅の四ツ小屋駅北上線経由の3017D(特急秋田リレー17号)とすれ違い、同じく通過駅の和田駅では33M(特急こまくさ33号)とすれ違うと大曲(21:46-47)に到着。帆立貝の紐を肴に青森駅で買ったワンカップの濁酒を飲んでいると酔いが回ってキハ100系を特急に使うのは如何なものかと考えていたら寝てしまったらしい。

 

就寝中の停車駅と時刻は以下のとおり・・・横手(22:04-06)・十文字(22:16)・湯沢(22:24)・新庄(23:22-37)・宇都宮(5:14-16)。起床したのは5時半くらいだけど深夜1時過ぎにトイレで目が覚めてデッキで様子を見てたら小牛田駅運転停車中で機関車交換中に上り寝台特急はくつる」が1:25くらいに通過して抜かして行くシーンを目撃してしまった。ダイヤグラムでは以前から小牛田駅で「はくつる」に抜かれる事は知っていたが直接見たのは始めてだ。すぐに戻って寝たけど昨夜は早く寝たのでよく寝れたけど着替えて寝台を一部畳んでから昨夜に秋田駅で購入したジョージア ゾット・すっきりビターテイストという190グラム缶を飲みながらマッタリと朝霧の車窓を楽しむ。

 

朝6時なので家族を起こしに回るとノック2回で返事があったが子供は既に起きておりどうやら寝てないのかも知れない。朝の歯磨きと洗面が終ると子供がやってきて陸羽東線の途中駅まで起きて寝てから朝は矢板~蒲須坂くらいには起きていたと白状したがお母さんには言うなよと釘をさしておく。やがて列車はヒガハスこと東大宮~蓮田の有名撮影地を通ると早朝なのに15名くらい撮り鉄集合で爆笑した。これは1002列車に人気の機関車が連結されてるに違いない。一緒にいた子供も驚いていたが早起きするけど一緒に撮影に行くかと誘ってみるが乗らない鉄道は論外といいたそうな顔をしているけど高校生からバリバリの撮り鉄に変貌する事を彼はまだ知らない。

 

大宮駅(6:31-31)を発車すると「あけぼの」はいよいよラストスパート区簡になり、長かったゴールデンウィークも今日で終わりと考えるとブルーになってくるのは大型連休最終日と同じなのだが今年のゴールデンウィークは前半は寝台車連結の「八甲田」、夕方は奥羽線青森口での上り夜行列車撮影などで、後半は今回の下北半島と一部津軽半島の旅だったが10連休なんてあっという間である。列車は東十条の撮影地を通過すると大人数の撮り鉄が集合してこれはもしかして95号機なのかも知れないが家族も下車準備が終って尾久駅の先で上り「はくつる」の回送とすれ違ったが番号こそは分からないけど普通の星ガマ81であった。

 

上野駅地平ホームへ向かうポイントを幾つも渡ると上野駅で定刻6:58に15番線ホームへ到着したのでホームを降りて大連絡橋へ行かず、そのまま真っ直ぐに行き止まりホームの先端まで移動すると物凄い数の鉄道ファンで近付くとやはり田端運転所のEF81-95であった。自分たちは山手線内回り電車か、京浜東北線北行電車かに乗り換えて自宅のある田端まで帰った。帰宅後に岐路の「あけぼの」ソロについて意見を聞いてみたら嫁は寝室としてなら問題ないけど起きている時間帯の座席としての環境が悪すぎるけど2階個室からの景色は素晴らしい、でもソロで上野⇔青森・全区間乗車は疲れるとの由。

 

帰路4時間くらいしか寝てない息子は往路に乗ったシングルDXより景色が見やすいとの事で概ね良好だったとの事。流石にあけぼの往復をシングルDXでは予算オーバになるので仕方がないよね。

 

             ★★★★★Memories of the night train★★★★★

 

 

 

 

 

 

寝台特急 あけぼの(A1)

1996年5月2日(木曜日)、家族3人で上野駅17番線ホームにて寝台特急「あけぼの」の入線を待っていた。子供が小学生に入学してから北海道、北陸、山口県などに往復夜行列車の移動でほぼ毎年家族旅行をしてきたが、1996年はG.W後半を利用して往復「あけぼの」利用で夜行列車2泊+宿・ホテル2泊のプランで2月くらいから計画を立ててきた。レンタカーはK君の勤務先関係で社員割引並の24時間5,500円+免責保証料で予約して乗車券は株主優待を利用して「あけぼの」はシングルデラックスを2部屋を続き部屋通し部屋になるように購入して1部屋は折り畳みの上段補助ベッド使用で申し込んだ。

 

どんな部屋であるという事は家族会議の時に写真付きの資料(JR時刻表・平成3年4月号に付属してた「JR寝台列車ハンドブック」が多いに役に立った)を見ながら行きはA1シングルデラックス、帰路はB1ソロ利用で決まったのである。発車18分前の21:20に「あけぼの」の回送1001列車が推進運転で17番線に入線すると早速10号車のスロネ24-551に乗り込み6号室と7号室に乗り込み、僕と息子は牽引機の確認へ、嫁は飲み物購入に別れて自分立ちは先頭へ移動すると"あけぼのマーク"が付いた田端運転所のEF81-100を眺めて個室に戻ると発車時刻である。

 

21:38に上野を発車したのでとりあえず6号室のベッドをたたんでソファーに戻してから家族3人で座っていると車掌が来たので家族3人分の乗車券と特急寝台券を呈示してアニメティーグッズと個室カードキーを受け取ってから6号室と7号室の境になっている扉のロックを外してもらい、6号室の補助ベッドで使うリネン・寝具類を持って来てもらってから親子3人で乾杯した。喉を潤して人心地ついてからコントロールパネルの操作方法に上段補助ベッドの設営と上段補助ベッドにあるオーディオ装置を教えていると大宮駅(22:03-04)へ入線。

 

自分もそろそろ寝ようと、ソファーからベッドへ切替えて寝具を並べていたら隣の部屋からトイレに立ち寄って帰ってきて「下段ベッド」を母親に取られたと文句を言いながら子供がやってきた。そもそも補助ベッドは子供用に指定券を購入してあり、最初っからその約束だったのだが勘違いしていた様であるが帰りが全員が1人個室だからと子供を宥めて個室の灯火を消して休んだ。就寝中の停車駅と時刻は宇都宮(23:03-04)・黒磯(23:42-45)・新庄(4:36-49)・湯沢(5:46)・目が覚めたら十文字(5:55)到着直前で非電化区間のDE10重連陸羽東線はすっかり寝ていたようである。

 

着替え終わると列車は2分停車の横手(6:05-07)に近付いているため、先頭車のデッキに移動して牽引機を確認しに行くと青森運転所・東派出所のED75-755を確認。自販機で甘くないショート缶のコーヒー他を買って個室に戻ろうとするとシングルデラックスの隣の部屋から窓越しにホームを眺めている息子と目が合ったが個室に戻った。寝台からソファーに戻して子供を呼んで先ほど横手駅の自販機で購入した缶コーヒー(息子にはジュース)で喉を潤していたら大曲(6:24-25)へ到着。大曲と言えば1996年3月で駅弁販売から撤退した駅でもあり、仙北おばこめしも過去になってしまったのが残念。

 

刈和野峰吉川のあけぼの撮影地を通過してお腹が減った頃に8分停車の秋田(7:09-17)に到着。最初に朝めし確保するために駅弁立売りまで小走りに移動してあきたこまち弁当(820円)2個と牛めし(700円)と緑茶3個を購入して個室に戻ると朝寝坊の嫁も起きて来た。本当なら大館駅の鶏めし弁当が狙いなのだが大舘到着が9:09と遅いために敢えて朝食弁当調達を秋田駅にした次第。一部屋に集まって朝食にすると嫁は幕の内弁当系のあきたこまちを選び、子供は牛めしを選んだので自分は余り物のあきたこまち弁当にて3人銘々で朝食タイム。

 

秋田駅を発車して大久保駅(7:35-47)で運転停車、ここで上りの号(3626M)」1624Mと快速「しらかみ2号」のすれ違い交換で12分間の停車。大久保を発車すると1995年12月1日に新設した新駅の井川さくら駅を通過して八郎潟という琵琶湖に次ぐ第二位の広さだった湖を干拓して米の農作地になり、元々は海水が混じる汽水湖である事を家族に説明したけど2人とも興味なさそうなので辞めたが水平線まで続く田園地帯は奥羽線・北部では見どころのひとつだと思う。八郎潟(7:54-55)を発車すると鹿渡通過中に5012M(特急白鳥)とすれ違い、東能代駅(8:26-27)へ到着した。白鳥も子供と一緒に早い内に全区間乗車したいものだ。

 

東能代を発車すると列車は能代川を渡り、「鳥海」「日本海」「あけぼの」他の好撮影地である富根二ツ井を通過して今年(1996年)の2月10日に秋田まで延長された急行「はまなす」を撮影した二ツ井~前山の撮影地を通過すると鷹ノ巣(8:52-53)に到着した。6番個室では子供を膝の上に乗せて親子で必死になって車窓を眺めているけど隣の7番個室が、気になり様子を探りに行くと嫁も窓から流れる景色を目で追ってるようでやはりシングルデラックスに3人詰め込むのは無理で定員は2名なのである(ソファーからベッドに戻せばベッドの上に3人並んで座るのは容易である)。

 

大館駅(9:09-10)へ到着する前に7号車へ移動して1分停車で上手く買えるか微妙だったけど立売りから花善の鶏めし弁当(800円)を1個だけ入手して僕の個室で弁当を空けたら嫁がいい匂いがするとやって来た。家から予備の割り箸は沢山持って来てるので3人親子でつつく事にする。2時間前に秋田駅の駅弁を朝食として食べているけどやはり美味い物は美味いのだ、やっぱり大館の鶏めしを朝食にすれば良かったといのが家族3人の見解である。散らばった比内地鶏のそぼろは子供が全部口へ流し込む様に食べて嫁が残念そうな顔をしていた。

 

大館を発車すると撮影地でも有名な白沢~陣場のコンクリート橋・下内川橋梁を渡り、いよいよ昔の奥羽線から急勾配の難所だった矢立峠に入る。津軽湯の沢駅から青森県へ入り、院内駅から陣場駅までの長かった(営業キロは実に227.9km)秋田県はやっと終った。碇ヶ関長峰の大カーブ築堤を過ぎると大鰐温泉(9:38-38)すると弘南鉄道大鰐駅構内に元東急の6000系7000系が停車しており、息子が珍しそうに眺めている。息子が幼稚園の時に東急・こどもの国線でデハ7000系に乗ったのは覚えてなさそうだった。そうこうする内に寝台特急「あけぼの」は弘前(9:49-50)に入線した。

 

いよいよ次の停車駅が終着の青森駅なので下車準備を終らせてから最後の車窓を眺めていると津軽富士とも称される百名山岩木山が見えてくると五能線乗換駅の川部駅を通過して1985年くらいからよく通った大釈迦鶴ヶ坂の撮影地を横目に見て鶴ヶ坂駅では下り寝台特急「あけぼの(1001列車)」の最後となる上り列車のすれ違いは長距離貨物列車の帯広貨物駅から梅田貨物駅へ向かう超ロングラン運転の4096列車とすれ違うと当時は田舎の駅で周囲には何もなかった新青森駅を通過するがまさかこの駅へ新幹線が到着するとは信じられないくらいに田舎のボロい駅であった。

 

簡単に言えば同じ様にド田舎のボロ駅だった渡島大野駅新函館北斗に変わり大きく変貌するのが信じられないくらいの例えである。新青森駅を通過するとすぐに三厩駅や新中小国信号所から来る津軽線と交わると滝内信号所(青森駅方面か青森信号所へ方向を変える分差器がある信号所)を経由して青森駅が近付くと青森県観光物産館アスパムや青森ベイブリッジが見えて10:25、終着駅の青森駅に到着した。下りの「あけぼの」フル乗車は本当に久々だったけど嫁も長男も楽しめたと言ってくれて本当に良かったが帰路に乗る「あけぼの」ソロの狭い閉所地獄はまだ彼らは知らない。

 

改札を出てK君の勤務先関係で、安く借りれる某大手レンタカー会社の営業所へ行って10時半から借りるが今回は観光としては初めて行く下北半島方面(但し国鉄時代に大湊線「野辺地~大湊」と今は無き、大畑線「下北~大畑」のキハ22で走破はしている)他や過去にも訪れてる津軽半島方面へのドライブ旅行へ向かった。

 

 (*1)長年奥羽線の「あけぼの」は秋田運転区(南秋田運転所)のED75-700番台限定運用で牽引していたが1996年3月30日付で青森運転所・東派出所へ運用変更になり、700番台を中心に運用に入っている。因みに本改正から秋田南運転所のED75が定期旅客列車を牽引する運用は完全に途絶えてしまった。しかし1997年3月22日の秋田新幹線開業に伴って現行の東北本線陸羽東線奥羽本線経由の「あけぼの」は東北線高崎線上越線羽越本線奥羽本線経由に変更されて「鳥海」ルートを世襲するように運行されて交流区間はEF81が牽引する事によってED75電気機関車の旅客定期列車牽引運用は途絶えてしまったのだ。

 

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★

 

 

臨時急行 八甲田(B寝台)

1996年4月29日(月曜日)、青森駅のホームにて1人臨時急行「八甲田」の入線を待っていた。3日間東北線津軽線奥羽線など北東北での撮影旅も終って自分はGW後半の家族旅も計画してあるので一旦東京へ戻る。お世話になったK君は今頃、東日本フェリー(現津軽海峡フェリー)にて函館へ移動中でG.W中盤は北海道の鉄道写真撮影を極める様で宗谷本線で利尻島を入れて急行利尻を写すと熱く語っていた。自分は臨時急行「八甲田」の3段B寝台で上野へ戻るけど実は客車の3段寝台に乗るのは本当に久々である。八甲田は1994年12月ダイヤ改正で時刻が上野22:16⇒9:09青森19:55⇒6:30変更になっている。

 

臨時急行「八甲田」は1号車から3号車までが3段B寝台で1号車が禁煙B寝台となっているがスハネフ14のエンジンの下に寝台があると嫌なので、喫煙B寝台の方がまだ我慢が出来るため3号車をチョイスした。発車20分前に編成が入線すると牽引機は青森運転所東派出所のED75-741を確認して3号車の扉が開くとオハネ14-105に乗り込み、車掌に急行寝台券などを見せて暫く自由席で過ごす旨を使えて自由席で過ごす。夕飯がまだなのでどうも個人的に好みの駅弁が少ない伯養軒青森支店なので予約専用の「津軽路弁当」を予約しておいた。

 

ゴールデンウィーク前半戦が今日で終わりで明日・4月30日から5月2日まではド平日が続くため、上り臨時急行「八甲田」も明日から運転は暫くないので今宵の「八甲田」自由席もかなり空席が多くてこれだと前の席を回して1BOX占領して乗れそうである。3段寝台のB寝台よりこちらの方が環境がいいので1BOXで前席に靴を脱いだ足を伸ばして寛ぎながら青森19:55発車を待ってから缶ビールで乾杯して「津軽路弁当」を食べているとK君から電話が来て今夜の5レ(北斗星5号)はEF8195との情報でハセガワストアーのヤキトリ弁当を大沼のパーキングで食べているとの事。

 

臨時急行「八甲田(8108レ)」は浅虫温泉(20:12)、小湊(20:21)、野辺地(20:38-39)の順番に停車するが21時少し前に寝台車の3号車へ引っ越すと3号車も空席ばかりで下段さえ空いてる寝台も多く、3割にも達してないのが驚きである。583系の電車寝台ならともかく14系の客車寝台で3段なんて時代遅れも甚だしい。今は「だいせん」「ちくま」「利尻」でさえ2段ハネであり、3~4年前に廃止(特急格上げ)された「かいもん」「日南」でさえ2段ハネで客車で3段寝台といえば1996年春臨から姿を消した臨時急行「桜島」と夏場のみ「八甲田」へ併結してる「モトトレイン」くらいである。

 

安い夜行バスに対向している"出雲B3キップ"の対象となる「出雲3・2号」の3段寝台は特例だから仕方が無いにせよ、「モトトレイン」のB寝台も2段化にしてもいい頃だと思うのだが如何だろうか?。久々に乗るB寝台3段の下段は高さが73㎝しかなくて身長180㎝には首を横にするか寄りかからないと頭が閊えてしまう。通路側の椅子に座りながら真っ暗の車窓を見ていると三沢駅(21:02)へ到着。浴衣に着替えてシーツを敷いて寝具を並べたらベッドの方が楽そうで横になって寝台車の風情と旅情を味わう事にする。

 

今日は早朝5時台から津軽線で上り「はまなす」を撮影してから上り「八甲田」を撮影するために前夜は車中泊だったので寝不足状態で眠さも限界だけど八戸(21:20-21)を過ぎてから寝る事にした。以下は就寝時間の停車駅と時刻・・・二戸(21:51)・一戸(21:58)・沼宮内(22:29)・盛岡(22:53-57)・花巻(23:25-25)・北上(23:36-36)・水沢(23:50)・一ノ関(0:10-11)・黒磯(4:06-13)・宇都宮(4:42-53)。他に運転停車で松川などにも停車しているが松川駅は8002M(はくつる82号)を退避して先に行かせるための運転停車駅で今夜は8002Mの設定がなかったので退避は無かったはずである。

 

因みに「八甲田」どうしの離合(すれ違い)は東北地域本社のダイヤグラムを見ると桑折~藤田になっているけど深夜2時過ぎなので寝ていて気が付かなかった。朝目が覚めたらちょうど列車が小山駅(5:14-14)へ入線するところで8時間近く寝た計算なのですこぶる気分はいい。急いで先頭車まで歩いてスハネフ14の展望スペースまで行くと田端運転所のEF65-1026を確認して3号車に戻る。そういえば3号車は喫煙可能な号車だけど予想に反してタバコの煙や臭いが殆ど気にならないレベルで3号車にして正解だったけど1号車のスハネフ14は思った以上にディーゼル発電機の音が気になった。

 

ヒガハスこと東大宮~蓮田間では3両14系寝台車を連結した「八甲田」狙いの鉄道写真ファンが正面に日が当たらないのに8名も撮影していたのは驚きで笑ってしまったが大宮駅(6:04-05)に到着すると下車準備を行い、赤羽駅(6:19)に停車して時刻どうりに上野駅13番線ホーへ6:30到着した。「はくつる」だと乗車時間が短くて物足りないけど上り「八甲田」の所要時刻は10時間35分なので寝台車を楽しむには最適な時間だけど早く2段ハネ改造してほしいものである。翌々日の5月1日はK君に教えてもらったEF81-95の「北斗星6号」を車で栃木県まで撮影しに行った。

 

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★

 

 

 

 

 

 

 

寝台特急 はくつる (B寝台)

1996年4月26日(金曜日)、上野駅15番線で青森行きの寝台特急はくつる」の入線を待っていた。実は春休み期間中とゴールデンウィークの春臨に運転される臨時急行「八甲田」は編成に14系寝台車が3両(何れも3段ハネ)が連結されてハザ9B+ハネ3Bの12両編成になるため、これは写しに行こうとK君から誘われて、朝は24系「はくつる583系臨時「はくつる」と臨時急行「八甲田」昼間は津軽線か海峡線で快速「海峡」、夕方は奥羽線鶴ヶ坂津軽新城の白旗野踏切他で夕方の「日本海2号」、583系の「あけぼの82号」、24系「鳥海」、「あけぼの」他を撮影するプラン。

 

本当なら費用を抑えるために臨時急行「八甲田」のB寝台に乗って向かいたかったが「八甲田」に乗ると肝心の「八甲田」が撮影出来なくて1日を無駄にするため、苦肉の策で「はくつる」をB寝台をチョイスした。ゴールデンウィーク10連休の前夜なので上野駅ホームには多くの旅人が居たが13番線ホームには明朝、苫米地~北高岩の撮影地で迎え撃つ、臨時急行「八甲田」が既に入線しており、何か妙な気分である。15番線ホームには22:10に寝台特急はくつる」の回送が入線して早速7号車のオハネフ25-118に乗車して牽引機を確認しに行くと田端運転所のEF81-133。

 

ホーム売店で缶ビールとツマミを買って車内に戻り、デッキから車で東北自動車道を驀進しているだろうK君へ携帯電話から電話すると安達太良SAで休憩してたので早速今夜の11列車はパーイチの133号機を伝えて明日朝に八戸駅で待ち合わの約束をして寝台に戻ると臨時急行「八甲田」は既に発車していた。寝台特急はくつる」に乗り込んで待機していると22:23に上野駅を発車して7分前に発車した臨時急行「八甲田」の後を追いかけるように上野駅を離れた。下り「はくつる」に乗るのは昨年1995年6月以来だがどちらかと言えば仕事で使うのが多いけど鉄道写真の撮影で乗るのは初めてかも知れない。

 

車掌の切符拝見が終ると浴衣に着替えて買ってきた枝豆をつまみながら缶ビールを飲んで1996年G.W前半戦の旅のスタートを祝う。「はくつる」の3分前を走る通勤快速「ラビット」の所為で北斗星の様に飛ばさないけど大宮駅(22:49-50)に到着すると同時に明日は朝6時半起床予定なので早めに寝具を敷いて横になって考え事をしていたらいつしか夢路を辿ったらしい。以下は就寝中の停車駅と時刻・・・宇都宮(0:01-01)・盛岡(5:31-35)・一戸(6:25-25)。昨夜は早く寝たせいで早く目覚めて一戸駅の発車時刻には目覚めていた。

 

洗面と歯ブラシが終ると二戸駅(6:31-31)・三戸駅(6:44)と停車して下車準備を終えたので苫米地~北高岩の撮影地を車窓から眺めていると、「はくつる」を撮影しているK君を発見して手を振っているとすぐに八戸駅(7:00-02)に到着したので下車して約束の場所で待っているとK君がすぐに来て撮影地まで運ばれた。撮影地に到着すると僕の場所がキープしてあり本日の8105レ(臨時「八甲田」)はED75-751(オリエントサルーン専用機)限定運用指定なので同業者が多いとか。やがて約30分数分後に通過した8105レを撮影して津軽線へ移動して快速海峡などを撮影。

 

その後は奥羽線鶴ヶ坂津軽新城の白旗野踏切で夕方の「日本海2号」、583系の「あけぼの82号」、「鳥海」、「あけぼの」に急行「あおもり」の583系回送を撮影して1日を終えたがそういえば583系の臨時急行「津軽」は来なくて時刻表にも掲載は無かった様であった。旅を終えて帰宅後に"鉄道ダイヤ情報"で確認すると春臨で「津軽」は設定がなかったようである。1996年春臨は583系の「はくつる81・82号」や「あけぼの81・82号」の電車寝台特急の方が需要ありそうだし、特急料金と寝台料金分の増収分も大きい。ファンとしても急行マークの夜行列車なんて魅力がない。

 

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★

 

寝台特急 瀬戸(B寝台)

1996年3月29日(金曜日)、高松駅9番線ホームで高松出張を終らせて寝台特急「瀬戸」の入線を待っていた。高松市内の出張が17時過ぎまでかかり、タクシーで高松駅まで戻っても新幹線接続最終ルート(高松18:47「快速マリンライナー52号」19:45岡山20:09「のぞみ28号」23:24東京)にはギリ間に合うけど(飛行機は18:30のANA638便が最終で間に合わず)翌日は土曜日で休みだし、寝台特急「瀬戸」でゆっくり寝て帰る事にする。とりあえず瀬戸の特急寝台券などを購入して讃岐うどんを立ち食いで流し込んでからホームへ入った。

 

快速マリンライナー(指)」+「のぞみ(指)」と「瀬戸」の金額差は2510円なのでそれくらいの負担で夜行客車・寝台列車の旅情が味わえるなら安いものだと思いながら9番線ホームへ移動するとちょうど上り「瀬戸」が入線するところだった。扉が開くと早速13号車のオハネフ25-139へ乗り込み、指定された下段寝台へ荷物を置いて牽引機を確認すると田端運転所のEF65-1099を確認して売店で缶ビールを購入してから車内に戻る。暫し車内で寛いでいでいると20:36に「瀬戸」は発車した。「瀬戸」は自分が始めて乗ったブルートレインであり、25形客車なのだがPFのクリーム1号をバックにホームの照明に光ったHMは印象的でもある。

 

20:36に高松駅を発車するとすぐに車掌が現れたので乗車券と特急寝台券を見せ終わると浴衣姿に着替えて誰もまだ乗って来ないBOXコンパートメントで完ビールと高松駅へ到着してすぐに購入したあなごめし(800円)を取り出してビールを飲みながら夕飯を食べていると列車は坂出駅(20:55-57)に到着。坂出駅を発車すると宇多津構内の短絡線を通り、宇多津駅は通過せずに瀬戸大橋線本四備讃線)に入る。夜だし、鉄橋を渡っている事しか判らないけど四国や周囲の島の街明かりが見えて印象的であった。本州に渡り終わると児島駅(21:17-19)へ立ち寄ってから岡山駅(21:42-44)へ入線した。

 

岡山駅からの乗車が多く、「瀬戸」は高松より岡山からの乗車が多い寝台特急の様でやはり全区間乗ってみないと分からないものである。因みに岡山からの東京駅最終新幹線は「瀬戸」発車時刻の1時間35分前に運転を終了している。春休み期間中であるが車内は大層空いており、実際には半分未満しか特急・寝台券が売れてないのだと思うが12号車なんて3割以下の乗客である。山陽本線に入り、2~3月の年度末多忙で疲れて睡眠不足のために寝不足で姫路駅の手前で寝てしまった様である。就寝中の停車駅と時刻は下記のとおりだ(*印は運転停車)。

 

姫路駅(22:50-51)・三ノ宮駅(23:37-38)・大阪駅(0:02-05)・岐阜駅*(2:10-11)・名古屋駅*(2:33-37)・浜松駅*(3:49-50)・静岡駅(4:45-46)・富士(5:13-13)・熱海(5:43-44)。目が覚めたのは6時少し前の湯河原駅(通過)くらいで通路側の椅子を陣取って相模湾の海を臨む。ちょうど湯河原駅付近で日の出時刻を迎えていい感じのランティングで相模湾の風景が見れそうだ(本当は4号車のラウンジカーで自販機の缶コーヒーでも飲みながら眺めたいけど13号車からラウンジカーのある4号車まで移動するのが大変なので^^)。

 

小田原駅くらいまでは春の相模湾を眺めながらマッタリして平塚~茅ヶ崎あたりから上の方が雲に隠れた富士山が見えてきた。東海道貨物線を行く羽沢方面行きの貨物列車を抜いたり抜かれたりしながら大船観音が見えて来ると早いもので横浜市に入った。洗面を済まして下車準備を終らすと横浜駅(6:46-47)に到着。並走したり、すれ違う京浜東北線は殆ど209系に変わり、103系を見る事がなくなってしまい、更に205系埼京線への転配で209系ばかりの線区になってイマイチ面白みが無くなっている。なんて車窓を楽しんでいると川崎と品川を通過して新橋駅を通過すると車掌の東京到着の放送が聞こえてきた。

 

予定時刻より1分遅れて上り寝台特急「瀬戸」は7:13、東京駅9番線ホームに到着したが10時間37分の旅は終わった。

 

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

快速 ムーンライト(3720M)

1996年3月9日(土曜日)息子の只見線に乗りたいという突然の一言で急遽旅を仕掛けて前夜の下り快速「ムーンライト」まで来て村上から新潟・会津若松経由で念願の只見線を走破して小出から新潟を経て村上まで戻り、帰路の上り快速「ムーンライト」に乗ると言う1日以上乗りっ放しの乗り鉄旅でいよいよ帰りの夜行列車乗車となるが子供のリクエストとは言え、1日乗りっぱなしは疲れてもう勘弁。新潟駅近くのレストランで夕飯を食べて新潟から村上駅へ到着した我々親子は新宿行きの上り夜行快速「ムーンライト」になる快速3948M「新潟からは快速3720M」の入線を待っていた。

 

発車10分前の22:10頃に入線した列車の5号車に乗り込むとモハ164-66(M4編成)だったので昨夜の下り快速「ムーンライト」で乗ったM6編成は運用離脱しているようだが村上駅のホームは売店が無いので飲み物と食べ物は駅前のコンビニで購入しておいた。羽越線に50系客レが走っている頃には村上駅前にコンビニは全く無かったけど月日が経つのは早いものである。22:20定刻に村上駅を発車すると坂町(22:30)・中条(22:37)・新発田(22:48)の順番に停車するが、もう2時間以上前に新潟で食べた夕飯も消えてしまったのでコンビニで買ったおにぎりを親子で食べて僕はビールも流し込む。

 

車内切符拝見では明日の日付が入った青春18きっぷをと指定券を親子で呈示して車掌に指定券の購入状況を聞くと今夜は満席との事であった。やはり青春18きっぷの適用期間に入ったのと私立高校の春休みが始まっているかと思うのだが只見線車内でも若い鉄道ファンを目撃している。列車は豊栄駅(22:59)を発車して阿賀野川を渡るとJR貨物の東新潟機関区前を通って上沼垂のデルタ線(デルタ線の中央に上沼垂運転区がある)を過ぎると新潟駅(23:12-20)に入線。新潟駅で多くの乗客が乗り込み、新潟から進行方向が変わって村上からの後ろ向きに進むのが解消された。

 

ほぼ満員の快速「ムーンライト」は信越線と羽越線磐越西線が集まる鉄道のジャンクション駅である新津駅(23:34-58)へ到着。中条か新発田で寝ていた息子が、起きたので寝台特急日本海」が通過するので見に行こうと子供を誘って寒いホームで待っているとEF81のハイビームライトと分かる光と後に連なる24系客車が近付いて単吹ホイッスルを鳴らしながら近付くと「日本海」のヘッドマークと24系24形のブルーと白の帯が流れて最後に電源車のテールマークが流れて発電機の轟音が何となく頼もしく聞こえた。流石に寒いのでこの後通過する高速貨物2082列車はパスして車内に戻る。

 

席に戻ったら子供曰く、今度は「日本海」に乗ろうと簡単に言われてしまったが「日本海」や「トワイライトエクスプレス」は首都圏在住者には本当に乗りづらく、北海道ニューワイド周遊券で行きに乗るか、「日本海3・2号」なら一筆書きキップしかなく、「日本海」は個室は一切無く、開放B寝台だよと話を向けると個室じゃないと興味がない素振りをみせるから困ったものである。新津駅を発車した快速「ムーンライト」だがいろいろ子供に振り回されて疲れたので今宵は早々とリクライニングを倒して寝る事にした、以下は就寝中の停車駅と時刻。

 

加茂駅(0:15)・東三条駅(0:22-23)・見附駅(0:34)・長岡(0:43-1:09)・高崎駅(3:39-40)・大宮駅(4:30-30)赤羽駅(4:48)。他にも乗務員の交代で越後湯沢、水上、新前橋にも1分程度停車している。自分は長岡駅発車後にトイレで目覚めて用を足しに行く際に車内を歩いたのだが指定席は全て発売済みという話の割りにポツポツと通路側の席に空席があった。窓際の主が通路側の席の上に荷物を置いたり時刻表を置くのは変(他人の席なのだから)なのでこれは隣の席に誰も来ない様に買ってしまう輩だと直感した(某匿名掲示板では二席厨と揶揄されていた)。

 

自分勝手でずるがしこい行為だが車掌も下りなら高崎、上りなら長岡からその手のキップは無効にして車内で立ってる旅客に売ればいいのにと思うが如何だろうか?。「ムーンライト」以外にも「ミッドナイト」や「臨時ムーンライト」にも出没しているのだろうけど最近の若い人は個室の寝台しか乗らない人も少なくないみたいなのでこの手の輩が増えているのかも知れない。目が覚めたのは赤羽駅(4:48)停車中くらいで急いで子供を起して下車準備をしていると池袋(5:02)に到着すると次は終着駅の新宿駅である。

 

時間からしてまだ外は真っ暗な深夜の続きだけど未明という言葉の中に存在する数%の朝は都会の喧騒が始まる前に快速「ムーンライト」が一緒に運んで来た様に思えた。5:10定刻どおりに快速「ムーンライト」は新宿駅7番線ホームに滑り込んだ・・・それは時間の狭間に存在する夜行列車の終着駅到着である。たかが日中の只見線を日没前にフル乗車するために往復「ムーンライト」と青春18きっぷを使った旅の実録記でもあるが、軽い気分で快速「ムーンライト」の想い出夜行列車レポートとして読んでもらえれば幸いです。

 

会津若松の宿に宿泊すれば簡単なのですがそこは無駄にお金は掛けたくなかったのでこんな旅になりましたが色んな鉄道に乗れて当時小学生の息子は喜んでいました。

 

         ★★★★★Memories of the night train★★★★★

 

 

 

 

 

 

 

 

快速 ムーンライト(3763M)

1996年3月8日(金曜日)、新宿駅5番線ホームで小学生の子供と村上行き・快速「ムーンライト」を待っていた。実は子供がどこで誰に聞いたのか知らないが、何と只見線に乗りたいと言い出した。只見線に乗った事がある人なら分かると思うけどアクセスの悪さはピカイチで本数も極めて少ないし、まして青春18きっぷでは小出駅会津若松駅まで行くのが大変なのである。子供の行く小学校が第二土曜日と第四土曜日が休みなので往復快速「ムーンライト」(1996年3月16日より快速「ムーンライトえちご」へ変更)利用でも只見線は下りだと会津若松12:47発の429D、上りだと小出12:56発の434Dしか乗れない。

 

だいたい快速「ムーンライト」乗車だと磐越西線羽越線への撮影行きが多くて今回子供のリクエストで会津若松駅まで行くのに「ムーンライト」に乗って磐越西線を走るのは時間の無駄だと思うけど今回は子供の趣向に合わせて乗る鉄なので気軽に行こう。5番線で待機していると22:50くらいに回送電車が入線して5号車のモハ164-860(M6編成)に乗車して指定の席上にある網棚に荷物を置いてから階段上ったコンコース上の売店で飲み物と摘む物を購入して席に戻る。子供は何も言わず当たり前の様に窓際に座り、発車を待っていると23:03に快速「ムーンライト(3763M)」が新宿駅を離れた。

 

取り敢えずは村上まで寝て新潟まで戻り、新津~会津若松を乗って只見線小出駅まで縦断してまた村上まで戻って快速「ムーンライト(3720M)」で新宿方面に戻る感じで只見線の乗車より移動時間が長いというかぐるぐる乗りまわる旅になってしまった。今宵は3~6号車の3両編成だが青春18きっぷが使える期間なので5号車も満席に近く、指定券は早々に売り切れている。子供はソフトドリンク、僕はビールを飲みながら親子でポテチやあられをつまみながら山の手貨物線を進み、池袋(23:11)・赤羽(23:26)に停車しながら田端信号所から東北貨物線へ入り大宮(23:40-43)へ到着。

 

大宮からは高崎線に入り車掌が回って来たので翌日の日付が入った青春18きっぷや指定券を呈示すると数分後に2号車の照明が減光された。車掌の殆どが全ての切符チェックを終えてからまとめて減光する車掌が多いけど中には1両1両小まめに検札が終って減光する気が利く車掌もいるのである。今回は村上駅まで乗ってそのまま折り返しの3922Mで新潟まで戻ってくるのでかなり寝坊出来そうである。車内は熊谷駅を通過したくらいから静かになって深夜の高崎(0:55-1:09)に到着すると深夜でも営業している自販機で早速追加の缶ビールを購入して速攻流し込んでリクライニングを倒して寝る。

 

高崎駅の14分停車の内に寝てしまったようだけど以降は就寝中に停車した駅の時刻・・・長岡駅(4:05-15)・見付駅(4:26)・東三条駅(4:36-37)・加茂駅(4:44)・新津(4:59-59)・新潟(5:12-19)・豊栄(5:32)・新発田(5:44-44)・中条(5:55)。他には新前橋と水上に越後湯沢でも運転停車しているが目が覚めたのは中条に停車中であった。大宮駅発車後にすぐ寝てしまった子供は新潟駅の停車を覚えていた様だが僕は朝までぐっすりと寝てしまい、子供がトイレに行く際に僕の脚を乗り越えていくのに起されなければ6時まで寝ていたと思う。

 

子供が新潟から後ろ向きに走る謎を聞いていたが坂町駅(6:02)を発車すると10分で村上駅なのでその謎はこの後に乗る快速3922M、新潟行き(ムーンライトそのままの編成が新潟駅まで戻る)の車内で教えるとしよう。快速「ムーンライト」は6:12に定刻で村上駅へ入線した。快速「ムーンライト」は村上駅に到着すると車内清掃もせずにそのまま折り返し快速3922Mで新潟駅(7:25着)まで出てその先は新潟8:24(あがの2号)10:34会津若松経由で只見線429D⇒431Dに乗って小出へ向かった。

          ★★★★★Memories of the night train★★★★★