夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

快速 ムーンライト

【プロローグ】1993年12月ダイヤ改正では「八甲田」「津軽」「出羽」が、廃止になったけど鈍行乗り継ぎファンの間では長年定期普通・快速列車では快速「ムーンライト」と快速「ミッドナイト」が繋がらなかったけど本ダイヤ改正では繋がる事になり、青春18きっぷでの乗り継ぎ旅派には福音となったのである。 そこで自分が加入している鉄道趣味団体でも臨時快速「ムーンライト九州」・快速「ムーンライト」・快速「ミッドナイト」が、繋がる博多から札幌までの乗り継ぎ旅が学生や20代を中心にイベントとして開催されるけど夜行列車に乗る事と鉄道写真には興味があるけど乗り鉄自体は冷めているから一部参加として「ムーンライト」と「ミッドナイト」のみ昔からの友達を誘って参加する事にした。

 

1994年3月25日(金曜日)、僕と同行する事になった昔馴染みのS氏と新宿駅5番線ホームで快速「ムーンライト」村上行きを待っていた。 既に博多からの乗り継ぎ本隊10名余りは到着していたが自分達は一部区間参加だから指定券は自分たちで手配済みのため、3号車で本隊とは別号車なのでゆっくり寝て行けそうである。 22:55に快速「ムーンライト」となる6両編成の回送が、入線すると3号車のクモハ165-76に乗り込んでS氏に窓際を譲って自分は通路側を選んで酒類とつまみを購入して発車前から乾杯した。 3号車にもどこかで見たような一部区間参加のメンバーも乗っている。

 

23:03に新宿駅を発車した快速「ムーンライト」村上行きは元は山手貨物線と言われた埼京線に入ると車内放送も始まり、女性専用席以外は満席との事だったが、池袋駅(23:11)そして赤羽駅(23:25)に停車して山手貨物線から東北貨物線へ入って大宮駅(23:39-43)へ入線。4分停車するがこれは予定臨8801列車「臨時天の川」を退避する時間だけど今日は運転設定がないため、時間調整のみである。大宮停車中に乗継本隊幹事から"乗継のしおり"をもらったが、快速「ムーンライト」の頁は僕が担当してPC-9800で作成した。 それを見ながら横でS氏が運転停車の時刻や高崎駅他ホームの自販機情報や駅前24時間営業コンビニ情報は君が担当かと「乗り継ぎしおり」を見ながら笑っていた。

 

今夜は6両編成で車内で明日の日付を押してもらう青春18きっぷ愛好者が多いのか、切符拝見が遅くなって車内減光は熊谷周辺だったが、何と快速「ムーンライト」に乗るのが初めてだと言うS氏から感想を聞いてみた。指定券300円や500円でグリーン車と同じシートに乗れるのは素晴らしいサービスだし、時間帯もよくて羽越線磐越西線との乗り換え接続はよいけど坂町駅から米坂線への接続と新潟から長岡・北陸方面への接続が良くなく、2号車・5号車の自動販売機が使えないのは問題と集約した。 僕個人は快速「ムーンライト」利用の殆どが磐越西線での撮影が目的で今回村上まで乗るのは初めてかも知れない。

 
やがて列車は高崎駅(0:55-1:09)に到着すると階段を駆け上がり、改札方面に走って行く若者がいるけど14分停車中に駅前に最近出来たコンビニへの買出し組である。 自分達はホーム自販機で缶ビールを購入して2号車の談話室に座って乾杯して飲みながら雑談したが故障中になってる大清水自販機をもっと有効活用したらいいのにと思った。ビールを飲み終えて席に戻り、就寝準備を済まして新前橋駅運転停車する徐行運転くらいまでは覚えていたが、いつの間にか夢路を辿ったのであろう。以下は就寝中の停車駅時刻・・・長岡(4:01-15)・見附(4:26-26)・東三条(4:36-37)・加茂(4:44)・新津(4:59-59)・新潟(5:12-19)・豊栄(5:32)・新発田(5:44-44)。

 

目が覚めたら列車は逆方向に進んでいたので新潟駅を発車して白新線羽越線内走っているのだろうと分かっていたけどちょうど新発田駅に到着するところだった。 列車は中条(5:55)・坂町(6:02-02)と停車するが、長岡駅新潟駅で起きていたS氏曰く、長岡駅ではホームの自販機に群がる若者と新潟駅で下車した利用客が、思ったより多くて驚いたとの事であった。新発田駅から羽越線に入ると中条(5:55)・坂町(6:02-02)の順に停車・・・自分は次の村上駅(6:12)で5分接続の酒田行き833Dの海側ボックス席をキープするために村上到着前からベストポジションの扉にへばり付き、6:12無事村上駅に到着と同時に奪取。

 

無事キハ40の進行方向左側(日本海側)のボックスシートをGet、数年前までは村上駅より先は50系客車列車だったが、時代は変わって気動車である。 この後は普通列車を村上から青森まで乗り継ぎ(833D→541M→6531M→653M)、青森駅に15:27到着。青森からは16:08発の快速「海峡13号」で18:49に函館駅まで乗り継いだ。

         ★★★★★Memories of the night train★★★★★

 

 



中央線・臨時快速 8421M

1994年3月19日(土曜日)、乗車日・前日の1994年3月18日(火曜日)の深夜23時に新宿駅7番線ホームで日付が変わり、すぐに発車する臨時夜行快速・8421Mの松本行きを待っていた。 今回は金沢から大糸線に入るDD16牽引、サワ座(12系和式客車)の撮影で青春18きっぷ期間なのと1993年12月で廃止になった中央線・普通夜行1521M(前身の421Mや441Mに425レも含む)が、消えてからの臨時快速とはいえ、中央線・鈍行夜行復活なので列車移動に決めた。 さてこの8421Mの使用車両や編成両数については鉄道ダイヤ情報・春の臨時列車一覧表には記述ががないため、裏の手で運転報(通達)にチェックを入れて調べた。

 

分かったのは使用車両が115系・7両編成なのでホームに表記がある場所に荷物を置いて待っていると同行者のN君がやってきた。 僕より1歳年下の34歳で実は同じ勤務先だけど部署が違い、偶々勤務先の社内誌・表紙を一般受けする鉄道写真で飾ったため、鉄ちゃんだけと分かったのである。 そんなN君と話をしてると中央線の夜行に乗るのは久々らしく、学生時代にEF15+貨物撮影や旧型客車(1979年から12系)だった臨時夜行アルプスの返却回送を撮影するのに長野行き鈍行夜行・441Mはよく乗ったと思い出話を聞いていたら23:50に8421Mが入線。 ホームで待っている乗客も臨時列車ゆえ疎らだ。

 

最後尾のクモハ115-317(東トタ)に乗り込むとコンコースまで行って酒類を購入して発車を待たずに乾杯して飲んでいると日付が変わって0:02に新宿を後にする。 定期列車の頃は発車22分前の入線なので臨時格下げ以降、発車12分前の入線とは解せないけど臨時でも走ってくれれば嬉しいもの。 車内は3割弱の着席率で既に都内の学校は今日から1日早い春休みだし、青春18きっぷもあるのに意気が上がらないけどオジサン2人組は鉄道撮影や夜行列車をネタにして呑んで盛り上がっている。 立川(0:33-34)・八王子(0:45-45)と停車しながら手持ちの酒も切れたら高尾(0:52-52)に到着。

 

昔の中央夜行・長野行き441Mの時はハイカーや登山者とか、多くて新宿駅アルプスの広場と言う名前とは遥かに環境の悪い場所に早くから並ばされて発車時刻1時間30分前には441Mへ乗車出来たので乗車してからが、2次会だったと呑み鉄おっさんの昔話は続いた。 1時過ぎにお互いに足を伸ばして寝るが12系や165系などのBOXに比べると115系はやや狭いけど我慢してお互いに就寝。 途中駅の停車時刻・・・大月(1:29-30)・塩山(2:04-05)・甲府(2:26-28)・小淵沢(3:16-20)・茅野(3:44)・上諏訪(3:51-56)・岡谷(4:06-11)・塩尻(4:22-34)。

 

夜中に数回起きたのだが、8421Mは441Mや421Mには無かったモーター音を響かせて走る俊足振りで421Mが新宿0:01→上諏訪5:46、1521M~421Mが新宿0:02→松本6:34なので如何に8421Mの速さが分かる。気が付いたら列車はちょうど塩尻駅に停車中だったのでまだ寝ているN君を起こしてから下車準備していると臨時快速「8421M」が、4:45に終着松本駅に到着した。 それにしても4:45はいささか到着時間が、早いのでせめて6時くらいまで寝たい気分だったけど流石に寝不足である。 松本駅から南小谷行きと糸魚川行きに乗り継いでそこからタクシーでカーブした鉄橋が眼下に見える俯瞰撮影地まで移動して臨客サワ座他を撮影。


松本駅に戻って駅ビル内の蕎麦屋で日本酒で一献しながら、〆の信州蕎麦を食べて帰路も普通列車と快速電車を乗り継いで酒を呑みながら帰途に就いたが、もう一泊出来ればどこかの温泉旅館でも泊まりたい気分であったが折角のチープな青春18きっぷで節約旅だし、来週も青春18きっぷで北へ旅立つので温泉宿・宿泊は諦めたのであった。
 

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★

寝台特急 鳥海(24系)B寝台

1994年2月24日(木曜日)、急遽翌日の2月25日に出張で青森市へ行く予定が、急遽発生したのだが今からでは羽田18:30発のJAS217便には間に合わないので青森市内に9:30くらいに到着すればよいため、寝台特急「鳥海」のB寝台利用を決め、20時まで残業してから会社近くの中華飯店で飲みながら夕食を済ませて上野駅に向かう。 指定券は禁煙車・7号車の一番売れていないブロックの下段をチョイスして入線する上野駅15番線ホームで入線を待つ。 普通なら上野~青森間の寝台特急だと「ゆうづる」「はくつる」利用が筋なのだろうけど青森駅の到着時刻が、やや早くて不都合なのと2段ハネの24系が快適だから(趣味的に高崎~上越~羽越~奥羽線経由で愉快)。

 

仕事なのに自己都合的なマニアック記述をしてしまったが、21:07に推進回送で「鳥海」が入線してきたので扉が開くと一番で7号車のオハネ24-58に乗り込んで先頭の機関車へ移動すると長岡運転所のEF64-1000でなく、本来なら新津駅で機関車交換する予定の同じ長岡運転所のEF81-133が連結されていた。 実は1993年12月改正(実際には1993.11.29)で「鳥海」は長岡運転所のEF81が通し運用に変更。 「あけぼの」も同一日に田端運転所のEF81による上野~新庄間の通し運用に変わって上野口ではEF65PF牽引による寝台特急が、完全に消滅してしまった(季節列車と臨時列車を除く)。

 

KIOSKで缶ビールとバターピーを購入して車内に戻ると数分後に寝台特急「鳥海」は上野駅を定時21:23で発車すると車内放送を終えた車掌が、切符と乗車券拝見に回って来たので乗車率を聞くと半分弱との事。 1993年12月ダイヤ改正で同じ上越線羽越線経由だった寝台特急「出羽」が廃止され、「鳥海」に吸収されていてもそんな数字の乗車率なのだ。 大宮駅(21:49)を発車しても自分が、座ってる区画は人が誰もいないけど指定券購入時に敢えて売れていないブロックを調べて購入したのである。 年度末多忙で連日遅くまで残業してるため、慢性的な寝不足で早めにベッドへ入る事にした。


横になりながら上越区間EF64-1000より、パワーの弱いEF81(定格速度は両者同一だが定格引張力はEF81が3.63kN*劣る)だと急勾配の多い上越国境で問題ないのだろうか等と考えていたら眠ってしまったらしい。以降は停車駅の時刻(<>は運転停車)、高崎(22:50-53)・水上<23:42-44>・長岡<1:04-06>・新津<1:43-45>・村上(2:48-48)・あつみ温泉(3:37-37)・鶴岡(4:06-09)・余目(4:23-23)・酒田(4:35-37)・遊佐(4:49-49)・象潟(5:14-14)・仁賀保(5:24-24)・羽後本荘(5:38-38)・秋田(6:11-13)。 7時間以上寝れたので秋田到着前に目覚めたので2分停車で自販機の缶コーヒーを飲みながらまったりする。

 

幸い自分のいるコンパートメント(BOX)には自分だけだったのでゆっくり寝れたが、村上駅でトイレで起きた記憶がある。 1993年12月ダイヤ改正前の寝台特急「鳥海」は高崎駅を出ると羽後本荘まで営業停車はないが、改正後の「鳥海」は廃止で吸収された「出羽」の分も担って小まめに新潟県北東部や庄内地区の駅にも立ち寄っているのが改正後の特徴だ。 秋田を車すると八郎潟(6:43-43)・森岳(6:58-59)・東能代(7:11-15)に停車して日本海側なのに雪も半端ない。 東能代駅の4分停車で先頭のEF81-133を見に行くと、雪だるま状態で凄い姿になっており、この先は白沢~陣場津軽湯ノ沢~碇ヶ関と更に雪深くなる区間だ。

 

東能代定刻発車すると「鳥海」「日本海」「あけぼの」の撮影で訪れた事がある、富根二ツ井を通過して二ツ井(7:23-30)を発車。「鳥海」は既に秋田からヒルネ扱いになっているが7号車にはまだヒルネ利用者が来ないまま、前山駅(7:29-35)という小駅に突然停車した。 実は大阪行き特急「白鳥」の交換退避であり、上沼垂485系カラーのグレードアップ編成が、通過すると「鳥海」も発車して鷹ノ巣駅(7:41-42)に到着。 やがて朝食が待っている大館駅(8:00-01)に入線するとデッキで名物の鶏めし弁当(¥800)とお茶を購入。 早朝の秋田駅でも弁当は売ってたけど幕の内弁当しかなかったので鶏めしにした次第。

 

早速大好きな鶏めしで朝食を食べていると峠もあり、県境でもある白沢~陣場津軽湯ノ沢~碇ヶ関に入ると降雪量も更に増えて、牽引しているEF81-133の頑張りで今のところは定時運転を確保しているのは凄いと思う。 酒田機関区に投入されたEF81-133は上越国境を走るため、ツララ切りのヒサシなどの装備を増設して長岡運転所に投入された機関車だけど1994年12月「はくつる」の24系25形化で133号機は田端運転所へ転属する事になる。 列車は碇ヶ関駅(8:21-11)・大鰐温泉駅(8:30-30)に停車して弘前駅(8:41-42)へ定時で到着したが、あの雪の中で定時運転は本当に驚きだ。

 

弘前駅を発車すると次の駅が、終点で下車駅の青森駅なので下車準備をしながら車窓の景色を眺めながら本州最北端の百名山である岩木山(標高1,625m)が、見えなかったのは残念だけど津軽線との合流ポイントを進んで定時9:15に青森駅へ到着した。 12時間弱の旅だったけれど大いに楽しめて極め付けに空いてた開放B寝台も快適で満足。 寝台車の旅は客車の開放B寝台が基本なんだなと再確認を感じた寝台特急「鳥海」である。

文中上から23行目、3.63kN kNはキロニュートンと読み3.63kNは370kgfと同じ意味

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臨時急行 銀河81号(14系)

本ブログ記事は1月20日UPを予定してましたが都合により不在してて予定より遅れた事をお詫びします。

 

1994年2月10日(木曜日)、品川駅8番線ホームで臨時急行「銀河81号」を家族3名で待っていた。 1993年末くらいから嫁が、京都旅行を要望してて2月の3連休に京都旅行を実施、初夏くらいには片道豪華列車移動の道内・家族旅行で経費も掛かるため、当然経費節減を考えて2月10日に設定のあった臨時急行「銀河81号」を片道利用する事にしたが、寝台だと6180円、指定席だと500円で差額は5,680円。大人2枚+子供1枚の差額が、17,290円になると座席夜行に躊躇してた嫁の気も変わったのには驚き(苦笑)。 1月は2回連続急行「銀河」に乗ってるからレポートに新鮮味はないけど精々気張りますわ~。

 

急行「銀河81号」は発車9分前の23:10に田端運転所のEF65-1110に牽引されて入線すると
客車は何と岡山電車区の14系で自分達が乗った禁煙車の6号車はオハフ15-20だったが、取り合えず煩いスハフ14じゃなくて本当によかった。 家族3人で機関車の前や扉の前でサボ・方向幕を入れて記念写真を撮影して飲み物を購入してから車内に戻る。 深夜帯なので子供を寝かているともう品川駅を発車(23:19)したため、2人缶ビールで乾杯して旅の始まりを記念する。今回の旅行は往復の安い切符がないため、1日間だけレンタカーを無理やり借りて往復乗車券が2割引、急行・指定券と帰路の新幹線特急券を1割引にする英断を実行。

 

臨時急行「銀河81号」は神奈川県に入ると約8分で横浜(23:38-39)に停車、発車後にすぐに
車内は減光されたが、しかし「銀河81・82号」と言えば品川運転所(1994年12月から尾久へ転属)や尾久、そして宮原の14系座席車が使われる事が、多いけどシュプール・スキー団臨繁忙期で客車が足らないため、岡山電車区や広島運転所から借用してるのが面白い。 列車は小田原(0:29-30)を発車すると列車撮影で車にてよく訪れた玉川橋梁(早川~根府川)や白糸川橋梁(根府川~真鶴)を通過して嫁が寝たので自分だけ起きていると熱海(0:50-51)に到着である。 しかし「銀河81号」の乗車率は悪くて6号車は3割以下とは酷い。

 

逆に言えば3枚の指定券で1BOXを占領している我家には誠に都合が良くて、もし相席になれば席を回して元に戻さないと不味いのだが、マルスは3番から打ち始める特性を生かし、最後が2番なので最初から禁煙車6号車の1番A/B席と2番A席を購入して2番B席が売れていないか、頻繁に確認したけど乗車前に田端駅・みどりの窓口で調べても売れてなかったので大丈夫だろうと思って席を回して1BOXにしたけど後に偶々その席を買う可能性は0%ではないため、実は戦々恐々としていた事をここに暴露(苦笑)。 なるべく定期の急行「銀河」と違う事を書く必要があるため、いつもの想い出夜行列車レポートと違うかも知れない(いつも似通った文章ばかりなので切り口を変えた毛色の違うレポートへ鋭意制作)。


列車は丹那隧道(全長7,804m)を抜けて沼津駅(1:10-15)に到着するとホームの自販機で冷
えた飲料を買って飲んでから自分も寝に入る。 14系座席車1BOX向き合せになっておりり、春には小学3年生になる息子が、ベッド変わりに寝て僕ら夫婦は向かいの席に座って端の方に足を伸ばしたり、床に敷いた新聞紙の上に乗せて簡易リクライニングを倒して寝たのである。 以下は就寝時間帯の停車駅時刻・・・静岡(2:00-08)・浜松(3:07-09)・米原(5:51-53)と運転停車の名古屋(4:30-33)。 6時過ぎ、子供から起こされて5時間寝てないけど嫁と息子は座席車でもよく寝れたようで寝不足なのは自分だけであった。

 

下車支度・準備も終わって寛いでいると膳所駅を通過すると日の出時刻であり、周囲が明るくなってきたので6号車の切妻にある展望スペースへ行くと子供が喜んで、妻もこんな場所があるんだと喜んでもらうと僕まで嬉しくなってしまう。 大津駅(6:37)を発車すると我々が下車する京都駅まで僅か11分だけど臨時急行「銀河81号」は時刻通りに京都駅(6:48-49)に到着した。 朝食にはまだ少し早いので手荷物は駅構内のコインロッカーに詰込んで京都駅か徒歩圏内で行ける東本願寺内「飛地境内」を早朝散歩してから朝食を食べに移動した。

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急行 いわて3号(455系・自由席)

今から紹介する記事は乗車した日にちや時期他などが分からないため、今まで紹介出来ずに日の目を浴びる事がなかった記事です。そのような想い出・夜行列車レポートにも採用されなかった記事ですが、機会があればその様な記事もアップしてみたらどうかと思い、毎週月曜日に定期的にUPする記事とは別に突発的にUPした。

 

乗車日時や乗った車両の番号(系式・形式は記述)だけど上りも下りも1号、2号、3号と番号を付与してるからゴーサントウ(昭和53年10月2日)ダイヤ大改正以前だと推察される。6月だったか7月なのか手持ち資料に記述はないけど夏休み前のシーズンオフだったような気がするけど自分は上野駅15番線ホームで、急行「いわて3号」の自由席乗車位置で入線を待ちかねていた。当時の下り夜行急行「いわて3号」は455系・12両編成で自由席は1~3号車・8~9号車・11~12号車の7両であり、自分は先頭車の12号車に並んだ。

 

因みに4号車と10号車はグリーン車、5~7号車は指定席だったけど入線30分前から並んだけど12号車の乗客は少ない状態で23:14に急行「いわて3号」となる回送105Mが入線した。扉が開くと12号車のクモハ455に乗り込み、席をキープしてホームのキヨクスと言うより、鉄道弘済会売店の名称が似つかわしい店で愛用の煙草と缶ビールなどを購入して車内に戻ると乗客は余り増えぬまま、23:32に上野駅を発車して岩手路へ向かった。発車と共に缶ビールを開けて飲んだり煙草を吸っていると赤羽は通過して、大宮(23:59-59)に到着した。乗り込んで来たけどまだまだ1人1BOX占領できる範囲内である。

 

急行「いわて3号」を選んだのは盛岡駅へ良い時間(8:13)に着けるため、他にも候補はあったけど急行八甲田の盛岡着は3時台で論外。急行十和田1号と2号は朝5時台着(十和田1号は季節列車なので設定なし)で、これも候補からはずれて十和田3号は8:25着なので候補だったけど夏の旧客は寝れないので急行「いわて3号」に落ち着いて学割で8000円台?だっと記憶する盛岡・八幡平ミニ周遊券を使用した。列車の車内は減光されて夜行列車らしくなり、小山(0:50)と宇都宮(1:17-19)に停車してそろそろ寝ようとトイレへ行く序に隣の11号車を確認すると12号車と同じ様に空いており、10号車のグリーン車なんて空気輸送と同じである。

 

初めて乗る交直両用・急行電車での夜行列車だけど乗ってしまえば車内は165系と大差ないなんて考えていたらいつの間に寝てしまったらしい・・・以降は就寝中の発着時刻・・・黒磯(2:04-06)・白河(2:34)・郡山(3:09-11)・福島(3:54-4:00)・白石(4:40)・岩沼(5:03)・仙台(5:20-27)・塩釜(5:40)・小牛田(6:05)・石越(6:30)。目が覚めたら石越駅に停車中だったが4時間足らずしか寝ていないため、流石に眠いけど車内が昨夜より乗車率が増えていたのに驚き。仙台駅から早朝利用の乗客が乗ったのかも知れないけど立ち客は居ないので前席に脚を伸ばして寛いでいると宮城県から岩手県へ入り、花泉(6:38)に到着。

 

仙台~盛岡間は急行「八甲田」や急行「十和田」ではまだ寝ている時間ゆえ、この区間の車窓を夜行列車から眺める事は殆どないため、早朝に見る機会も極端に少なく、やけに新鮮に眺めていると、一ノ関駅(6:51-53)に到着した。2分停車を生かしてホームの自販機で缶コーヒーのチビ缶を買ってから車内で煙草を吸いながらまったり過ごす。一ノ関を定時で発車すると中尊寺毛越寺方面への乗り換え駅(駅からバスが出ている)でもある平泉(7:00)に停車して隣接駅でもある前沢(7:08)にも停車した。現在でこそ前沢牛というブランド牛の産地だけど当時はそんな牛は聞いた事がなかった。

 

終着駅の盛岡到着がちょうど1時間前を切ったくらいに急行「いわて3号」はホームに南部鉄器の風鈴が吊るしてあり、風が吹くと涼しげな音を奏でる水沢(7:18)に到着。南部鉄器の風鈴が独特の音に迎えられて、日本の音風景100選にも選ばれているけど、この夏限定の美風が現在も続けられているかは不明である。風鈴の音に見送られて水沢駅を発車するとこの旅で急行「いわて3号」ではなく、寝台特急「北星」を選びたい気持ちが多分にあったのだ。しかし乗車時間が7時間43分で当時はまだ20系の狭い52センチベッドに学生には大金だった寝台特急券を注ぎ込めなかった。

 

なんて考えながらも寝台特急「北星」は早期に断念して自由席の夜行急行になった訳であるが急行「いわて3号」の旅も新鮮であり、客車の夜行列車ばかり好む自分だけど冷房の有り難味を今更ながら感じた訳でもある。列車は北上(7:35)と花巻(7:47)に停車すると9時間弱の旅も終了で急行「いわて3号」は盛岡駅に定刻8:13に到着した。

 

因みに帰路は夜行列車を使わずに盛岡~仙台間を急行「もりおか」だったか急行「くりこま」の自由席を利用して安く上げて、仙台~上野間は特急「ひばり」を利用して節約した分を485系「ひばり」の食堂車で使った。

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★

急行 銀河(25形)上り・B寝台

1994年1月28日(金曜日)、姫路の仕事と大阪の仕事を終えて大阪駅・10番線ホームで急行「銀河」の入線を待ち兼ねていた。大阪の仕事も終わって「最終のぞみ308号」(新大阪21
21:22発→23:52東京着)には余裕で間に合うけど翌日は休みだし、帰路も急行「銀河」に決めて指定券を買いに行くと禁煙車の9号車12番下段で購入。 急行「銀河」大阪駅入線は21:48なので梅田地下街にあるお好み屋で生ビールジョッキ片手に祝杯を軽く上げる。 家族への土産を売店で求めてから冒頭の部分に戻る訳であるが、9号車の「銀河」乗車位置で待っていると21:48に田端運転所のEF65-1052牽引で入線。

 

昨夜乗った下り急行「銀河」はEF65-1118牽引だったけど今日の上り「銀河」は別運用になるのだが、下り「銀河」でA58仕業という運用で大阪に到着すると塚本→宮原操→京都→大阪→塚本→宮原操→塚本→大阪→名古屋→塚本→宮原操→吹田信→梅小路→京都→東京→品川で終わるA58~A60仕業の細かな運用を解してラストは1002レ~回1002レ(出雲2号)で品川に戻る運用で上り「銀河」には繋がらない運用(因みに101レはA58仕業、102レがA54仕業)なのである。田端PF運用東海道スジ運用はA51から始まり、優等列車での運用順番で言えば「出雲1号(A51)」「彗星(A52)」「彗星(A53)」「銀河(A54)」「出雲3号(A56)」「出雲4号(A57)」「銀河(A58)」「出雲2号(A60)」となる。

 

早速行きと同じく9号車から乗り込むと客車が昨夜の下り急行「銀河」と同じオハネフ25-33だった。 早速乗り込んで荷物を寝台に置いて先頭のEF65-1052を見てから酒類とツマミを買って車内に戻ると既に発車時刻でホームに降りて過ごせる12分間はあっという間に終わった。そもそも急行「銀河」という列車は牽引機関車が、大阪の宮原機関区(のちの宮原運転所)持ちだったが、国鉄がJRになる少し前になって田端運転所のEF65PF担当に変わっている。これは吹田機関区のEF65PFがJR化で貨物会社になった事により関西地区のEF65PFが下関運転所に集中集約管理された事によるものである。

 

大阪駅10番線を22:05に発車した列車は淀川橋梁を渡って新大阪駅(23:10-11)に立ち寄ってから、京都駅(23:45-46)に到着すると観光客と出張族を乗せて京都府から滋賀県へと入り、大津駅(22:57-57)を発車してからベッドに入った。 実は上り急行「銀河」に乗るのは1991年12月7日以来でおよそ2年振りとなるが、 「銀河」と言えば20系や14系寝台車の頃が懐かしく、出張で初めて「銀河」に乗った1981年4月23日当時の事を考えながらあれから13年の月日の流れを考えながら寝てしまったようだ。

 

就寝中の停車駅・時刻は米原駅(23:44-50)・名古屋駅(0:55-57)・富士駅(4:23-31)・沼津駅
(4:48-51)・熱海駅(5:08-11)・小田原(5:31-32)。 上り「銀河」に乗ると熱海付近で目が、覚めるのだが二晩続きの夜行列車連泊で疲れていたのか今回は小田原付近で起床した。 よく考えると往復「銀河」2泊での出張は最初で最後だったけど遊びじゃなくて仕事での寝台列車移動は疲れるものだと人並みに思ってしまった(苦笑)。 せめて7時間以上寝れば大丈夫なんて弱気になったけど会社の金で寝台車に乗れるのは"御の字"である。 列車は馬入川を渡る音がすれど外はまだ真っ暗だ。


湘南エリアの中心地でもある茅ヶ崎駅藤沢駅を通過して大きなカーブを曲がると「銀河」は大船駅(6:03-03)に到着して鎌倉市から横浜市に入ると下り急行「銀河」乗車の際にも紹介した清水谷戸隧道(213.7m)を抜けるといよいよ横浜中心部に近付き、ランドマークタワーが見えてくると横浜駅(6:18-19)到着するがまだ夜明け前である。 この先は京浜東北線205系や209系電車を抜きながら走り、品川駅(6:35-35)に寄って一大車両基地が、展開する田町電車区・品川運転所・田端運転所(品川派出)の横を通って終着東京駅8番線ホームに6:43に到着した。

到着時刻が日の出時刻と同じで清々しい朝焼けの空を見上げながら「銀河」の14分前に到
着した1002列車のEF65PFが、自分が乗った102列車の新橋方に連結されて回102列車として発車待機している。 因みに自分が乗った102列車を牽引したEF65-1052はこの後到着する回送1004列車を品川まで回送する運用に就く。 回送102列車を見送って自分も自宅に戻った。

          ★★★★★Memories of the night train★★★★★




 

急行 銀河(25形)下り・B寝台

1994年1月27日(木曜日)、東京駅9番線ホームで大阪行き・寝台急行「銀河」の入線を待っていた。急遽出張になり、今回は姫路市大阪市の2事業所への出張だが勤務先で21:30まで残業してから弊社でもよく利用している中華料理屋で夕飯を食べてから東京駅に向かった。みどりの窓口で禁煙車下段の指定券を発券してもらうと9号車12番下段の席を確保してから9番線のホームに入ると急行「銀河」の入線は発車5分前という慌ただしさである。 1997年に開業する北陸新幹線長野新幹線・暫定開業)のホーム拡張で寝台列車の機関車が機回しする事が出来なくなってしまったのだ。

 

よって1番最初に発車する「さくら」は品川から電気機関車をプッシュプル運転にして神田寄りに連結してた機関車を「富士」に繋いで先送り方式にする急行「銀河」は「出雲3号」を牽引したEF65PFが担当するのである。 逆に朝の回送は一番に東京に到着するブルトレ第一郡のFAST TRAIN「銀河」の回送客車受け取りはDE10やEF65PFだったり、はたまたロイヤルエンジンのEF5861が、登場したりとELファンからは注目を浴びる運用になってる。 22:55に田端運転所のEF65-1104に牽引されて入線するが、「銀河」を直接牽引するのは「出雲3号」の後部に連結されて9番線の新橋より側線に停めてあった同じく田端運のEF65-1118が担当する。因みにこの当時のEF65-1118はまだ原色でした。


24系9号車の扉が開くとオハネフ25-33に乗り込み、ホームで缶ビールにツマミ等を購入して戻ると5分停車はあっという間で、もう急行「銀河」は東京駅を動き出していた。 缶ビールを飲みながら丸の内界隈のビル群を眺めていると113系から見るのとは違って、見える事はもう数え切れない程、移転する前のブログで伝えている事であり、それだけ夜行列車は非日常的なモノであるのだが、その急行「銀河」も実に2年振りの乗車で1992年2月5日以来となる。 新橋駅を通過すると車掌が来たので「銀河」のB寝台券と京阪神ミニ周遊券(16580円)を呈示して西明石駅と姫路駅間の京阪神ミニ周遊券はみ出し乗車分を発行してもらう。


列車は品川駅(23:08)に停車して多摩川を渡って神奈川県に入ると最初の停車駅でもある
横浜駅(23:25-26)に到着。 およそ5分で東海道本線・東京口では最初のトンネルとなる清水谷戸隧道(日本最古?の現役トンネルと知られており、上り線が1887年竣工・下り線は
1898年竣工の歴史あるトンネル)を出て暫く走ると大船駅(23:41-42)の入線を待って就寝した。 以下は就寝中の停車駅と時刻・・・小田原(0:14-15)・熱海(0:36-37)・静岡(1:48-55)・岐阜(5:03-)・米原(5:45)。 目が覚めたのが草津駅を通過した先で急行「銀河」は速度を落として大津駅(6:31-31)の入線体制に向かっていた。

 

山科駅の手前で滋賀県から京都府に入り、全長1953mの東山トンネルを出ると京都駅(6:
40-41)に到着。 京都駅を出ると向日町運転所のヤードが見えて関西の駅では難読駅だった神足「こうたり」駅(1995年9月1日より長岡京駅に改称)を通過すると関西のJR有名撮影地でもある神足~山崎・山崎~高槻を通過すると大阪府に入った。 新大阪駅(7:11-12)に立ち寄って淀川を渡るといよいよ終着駅の大阪駅3番線ホームに7:17に到着した。 1番線ホームに新潟からの急行「きたぐに」で使った583系が、停めてあったけど自分は5番線へ急いで7:25発の711M播州赤穂行きに乗って姫路駅へ向かった。

           ★★★★★Memories of the night train★★★★★