夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

寝台特急 あけぼの(B1)

3月20日の「日本海1号」で函館駅に到着した自分は周遊きっぷ「青函ゾーン」の自由周遊エリア最北となる森駅まで特急で移動して名物駅弁の「いかめし」を二箱を食べて満足してから青森駅まで戻っていた。帰路は函館から「北斗星」か青森から「あけぼの」「はくつる」の三択だが北斗星だと函館駅で21時過ぎまで待つのが面倒だし、「はくつる」の青森発車時刻も遅いので必然的に「あけぼの」ソロに落ち着いた訳である。

 

1999年3月21日(日曜日)、青森駅のホーム立ち食い蕎麦屋で蕎麦を食べて暖を取っていると寝台特急「あけぼの」の入線時刻となり、指定された号車で待っていると青森運転所からの回送がDE10に牽引されて入線してきた。扉が開くと4号車に乗り込むとオハネ24-552で15番個室に荷物を置いてから暗証番号施錠して牽引機を見に先頭までホームを歩くと青森運転所東派出のEF81-136が"あけぼの"マークを着けて凛々しい姿を見せている(因みにEF81-134から139号機の合計6両は全機長岡運転所からの転属で1998年から「あけぼの」「はくつる」の全区間牽引を担っている)。

 

発車時刻が迫って来たので缶ビールを購入して1階のソロに入るが、最悪ソロだと思っていたあけぼのソロだが「サンライズ」のソロに乗って以来、クソ狭い"あけぼのソロ"もマトモに思えるから不思議なものである。18:05青森発車と共に缶ビールを開けて帆立珍味で飲み始めると津軽新城付近を通過してすぐに秋田運輸区の車掌が来たので寝台特急券と青函ゾーン周遊きっぷ+かえり券を呈示。そういえば「あけぼの」に乗るのも今年初めてであり、上り「あけぼの」は1998年9月以来の乗車で約半年ぶりとなるが、やや新鮮な気分であるが青森発車時点で日没なのが残念なところ。

 

青森県第3の都市「①青森市八戸市弘前市」でもある弘前(18:38-39)を発車したので少し早いけど夕飯にしよう、夕飯は函館駅で購入した"北への想い(1,050円)"を広げる。この駅弁は弁当箱を4等分した中にカニ寿司、いくらめし、鮭めし、いかめしの道南名物が入ってる駅弁で1992年くらいに見かけなくなったのだが1998年の時刻表には掲載され始めた。久々に食べて懐かしさを感じたけど初めて食べた時は700円?くらいだったと思うが、色鮮やかで見た目にも美味しい駅弁でした。列車は大鰐温泉(18:50-50)に到着すると懐かしい元東急電車のステンレスカーの姿が見える。

 

2022レでは青森県最後の停車駅となる碇ヶ関(18:58-59)を発車すると津軽湯の沢陣場矢立峠に入り、秋田県への県境を迎えるが現在の矢立峠新線は隧道区間が殆どなので走行中に正確な県境位置が分からない。陣場~白沢を通過すると花善の鶏めし弁当で有名な大館(19:20-21)に到着するけどこの時間帯ではホームに弁当の立売りもいないのが寂しいけど今朝の朝食は「日本海1号」で食べたので満足である。青森駅ホームの立ち食い蕎麦屋で購入したワンカップ濁り酒を飲みながらまったりしていると鷹ノ巣(19:37-37)と二ツ井(19:48-49)に到着。

 

機関車に牽引される客車タイプの寝台特急は音も静かでいいなと思う。国鉄時代に青函連絡船接続のあった速達性に主力を置いた583系ゆうづる」「はくつる」も高速走行してたけど285系の揺れとモーターの音はハンパない。583系13両編成はモーター車が8両あるのに対して285系14両編成はモーター車が半分の4両だし、最高時速も285系の方が速いからモーターの音も全然違うのだが、それに対して高速運転はないけど音も静かなブルートレインの方が夜行列車に向いてると思う。特にやる事もなく、持参したMDウォークマンで洋楽のブルースを聴いてると東能代(20:04-04)・森岳(20:14-15)に停車。

 

東北の夜行列車だとカントリーとかの方が合いそうだけど流石にカントリーは聞かないので定番のEric Claptonを聞いていると八郎潟(20:31-31)に停車したのちに秋田(20:55-57)へ到着した。車内の暖房が暑くて外の新鮮な冷たい空気を吸いながらホームの自販機で冷たいソフトドリンクを購入して車内に戻ると秋田駅を発車した。21時を回り、まだ寝るいは早い時間帯だけど特に行う事もないため、今宵は早めにベッドインする事にしよう。就寝中の停車駅と時刻は下記の通り・・・「*印は運転停車羽後本荘駅(21:34-35)・仁賀保(21:47-48)・象潟(21:58-59)・遊佐(22:22-22)・酒田(22:34-36)・余目(22:47-47)。

 

鶴岡(23:03-03)・あつみ温泉(23:29-31)・村上(0:15-18)・新発田(0:45-46)・新津(1:10-29)・*長岡(2:09-41)・*水上(4:16-19)・高崎(5:07-09)。目が覚めたのは確か籠原駅(5:42通過)くらいだったと記憶するが長岡少し手前でトイレで目が覚めている。もう少し早く目が覚めていたら東光寺駅付近での2022レと2021レどうしの「あけぼの」すれ違いが見れたのに残念至極。窓のカーテンを開けるとちょうど日の出時間帯で秋田駅のホーム自販機で一緒に購入した生ぬるいビタータイプの缶コーヒーを飲みながら車窓を眺めてまったり過ごすと吹上駅(5:58)通過で上野駅までラスト1時間となる。

 

流石に関東地方は春の陽気で桜が咲き始めていたりして春本番100%であるが、列車は大宮(6:31-31)に到着。大宮からは東京の電車「E電」特定区間に入り、初乗り運賃が130円の区間になるが私も下車準備を進めながらお土産でパンパンに膨らんだ鞄の中を整理していると荒川を渡って東京都に入った。何時もの様に尾久客車区を脇を通過して井堀信号所付近で上野駅を6:52に発車した「はくつる」の推進運転、回12レとすれ違ってから6:58に上野駅15番線ホームに入線した。

       ★★★★★Memories of the night train★★★★★

寝台特急 日本海1号(A1)

サンライズ瀬戸」の運転で廃止になった25形「瀬戸」に連結してたオロネ25-301・305の2両は下関車両センターから宮原運転所へ転属して1998年12月1日から寝台特急日本海1・4号」(4001レ・4004レ)に充当され、1号車に連結されるようになった。それを乗りに行こうと計画したのが今回の旅で都区内発の周遊きっぷ「青函ゾーン」を使い、"ゆき券"は都区内、東海道在来線経由の山科・湖西線北陸線信越線・信越線・新津・羽越線奥羽線経由の弘前まで。"かえり券"は「あけぼの」ルートで帰路は「あけぼの」ソロで決めたが一番のネックは"いき券"で東海道新幹線を使うと20%の割引率が大幅に減るので東京からは新幹線抜きの普通・快速乗り継ぎにしたが「こだま」くらい乗せろよといいたい。

 

1999年3月20日(土曜日)、 今日から勤労感謝の日を含めて3連休となるけど東京駅から東海道線の快速や普通列車を乗り継いで途中豊橋駅と京都駅で夕飯を買ってから大阪駅に到着したが別売り重複区間となる山科~大阪~山科は既に往復購入しておいた。大阪駅10番線の寝台特急日本海1号」・1号車乗車位置で待っていると宮原を17:02に発車した回4001レが塚本信号場や塚本駅経由の北方貨物線で大阪駅に17:12に到着。牽引機は敦賀運転派出のEF81-108でやはり青いブルートレインにはローズピンク(赤13号)の原色カラーがよく似合う。

 

発車35分前の入線とは嬉しくなるが1号車のオロネ25-301に乗り込み、3番シングルDXに荷物だけ置いて適当な個室磁気カードでロックしてから編成チェックでホームを徘徊して日本海ヘッドマークが付いたEF81を眺めていると初めて寝台特急日本海1号」に乗った1985年を思い出す。結婚して初めての国内長距離旅だったが急行「銀河」で京都観光をして大阪に移動してから寝台特急日本海1号」で青森まで乗車してレンタカーにて北東北を巡った旅だった。あれから14年も経過しており、随分月日が経過してしまったなと1号車3番に戻るが自分はオロネ25-300番台に乗るのは初めてである。

 

「瀬戸」「あかさぜ」は出張でよく乗ったけど出張旅費ではA個室なんて出る訳なくてオロネ25-300に乗る機会が無かった訳だが実際には「出雲3・2号」に連結してたオロネ14-300番台(現在は「あかつき」に連結)と同じで相違点は背摺り「モケット」の色くらいだろうか?。長かった35分停車を終え、5分前に発車した特急「スーパー雷鳥35号」の後を追って大阪駅を17:47に発車である。それにしてもA個室に乗るのも本当に久々で趣味用のPDA端末ザウルスで探ってみると1997年12月の「北斗星5号」以来でシングルDX利用は1996年6月の「あけぼの」以来という事になるが少しでも経費を抑えるための涙の努力だ。

 

列車は淀川を渡るとすぐに車掌が参上してきっぷ類を見せると個室カードキーとA個室専用のシャワーカードを頂くが、シャワーカードにも日本海の表記とテールマークが付いおり、アメニティグッズの中に入れておいた。列車は新大阪(17:51-52)を定時で発車したが「日本海1号」と言えば奥羽線での撮影で何回も撮影している被写体だが、全車宮原運転所の24系25形0番台と100番台の統一された編成美だったけど大阪駅ではオロネ25-300番台のゴールド帯車が、やや浮いてるように思えた。山崎~長岡京付近で日没時刻を迎えて京都(18:19-20)に到着。

 

山科駅から湖西線に入り、夕暮れの車窓を眺めつつ、車内販売で購入した缶ビールを飲みながら京都駅で買った萩の家の"とんかつお弁当"を食べる事にする。大きめのとんかつに千切りキャベツがメインにフライドポテトとミックスベジタブルに福神漬が付いて今時630円はお値打ちでビールと共に美味しく頂いた。湖西線近江塩津までは高速走行区間なので「日本海1号」も速度種別が特通客C1で健気に飛ばして敦賀(19:30-37)に到着。京都を「日本海1号」の19分後に発車した特急「雷鳥37号」を先行させるために7分停車するので牽引機でもあるEF81-108を眺めて自販機で缶ビールとお茶を買って車内に戻る。

 

敦賀を発車すると敦賀~南今庄間で長さ13,870mの北陸トンネルへ吸い込まれるが1972年11月に急行「きたぐに」が火災を起こして死者30人の犠牲者を出して電源分散式寝台車「14系14形寝台車」の増備が見送られたのは有名な話。暫くすると列車は速度を落として今庄(19:55)に運転停車するが特急「しらさぎ13号」の先行通過待ちであるが特急本数が多い、特急街道とも言われる北陸本線なので速度が遅い客車特急はどうしても退避する羽目になる。485系の先頭がボンネットクハ481の特急「しらさぎ13号」が一瞬に通過すると4001レ「日本海1号」も発車した。

 

1時間半前に京都駅のとんかつお弁当を食べたばかりだけど豊橋駅乗換で購入した壺屋弁当部・稲荷寿司に緑茶を飲みながら食べていると列車は福井(20:27-28)に到着。そういえば車掌のきっぷ拝見の際にA個室の予約状況を聞いたら今夜は満室との事だがまだ1室「調整用の部屋を含めると2室」が空いており、金沢駅富山駅くらいで埋まるのであろうか?。福井を発車すると26分で加賀温泉(20:54-21:00)に到着するが市販時刻表では加賀温泉駅は発車時刻のみしか記載してないけど実は特急「スーパー雷鳥39号」を先行させるために6分停車する。幹線を走る寝台特急でこれだけ停車時分が多いのも稀だ。

 

機関車交換とかなら分かるけど流石に特急街道である・・・なんて1人ほくそ笑みながらホームを歩いて騒音を奏でているカニ24-106の前に連結してあるEF81を眺めてから車内に戻ると本日最後の特急先行となる「スーパー雷鳥39号」が先に発車してから2分後に「日本海1号」も発車である。6分停車なら改札を出た売店で家族への加賀銘菓でも買えた可能性もあるけど「日本海」に乗る機会も少ないので趣味的活動を選んでしまった。加賀百万石・石川県の県庁所在地駅でもある金沢(21:33-35)に到着するとシングルデラックスが全て埋まって自分も寝る準備に入る。

 

以降は就寝中の停車駅と時刻・・・高岡(22:05-06)・富山(22:21-22)・魚津(22:41-41)・糸魚川(23:21-21)・直江津(23:50-52)・新津(1:22-29)・鶴岡(3:31-31)酒田(3:55-58)・羽後本荘(4:54-54)。目が覚めたら列車が秋田(5:34-36)へ進入するところだったが日の出時刻9分前で外は既に明るくなっていた。貴重な2分停車なので自販機で缶のビターコーヒーを購入すると流石に外は寒いけど雪は少なめである。個室でまったりと缶コーヒーを飲みながら車窓を眺めていると八郎潟が見えてきたが今日は天気がよさそうだ。そういえば自宅のPCで作成した「日本海1号」の時間を印刷したのを眺めて疑問に思った件。

 

それは長岡駅が0:46通過になってる事で下り「あけぼの」でさえ営業停車(1:38-43)しているのに約1時間早い「日本海1号」が通過になってる事が解せない。新潟第二の都市と言われている長岡市の駅だけど帰宅後に国鉄時代の時刻表を見ても通過になっていた。東能代(6:25-25)に停車すると当駅から「日本海1号」は一部号車が立ち席特急券で乗れる"ヒルネ"区間となる。鶴形くらいから山間部のために雪の量が、やや多いように思えるけど二ツ井駅の手前で米代川を渡って鷹ノ巣(6:50-51)に到着した。鷹ノ巣陸奥の小京都として有名だが戦後初めて女性車掌・運転士を起用した秋田内陸縦貫鉄道も人気である。

 

糠沢駅~早口駅間で大館市に入り、僕の朝食が待つ大館(7:10-11)に到着する前に弁当とお茶の代金を確認して1号車デッキで待つと係員と目が合い、現金を渡してレジ袋に入った現物を引き取る。花善鶏めしは出来た手ての熱々で個室に戻って早速頂く事にしたが作りたては美味さが違う。すっかり満足して食べ終わると列車は積雪が増えた矢立峠から県境となる陣場津軽湯の沢間で秋田県から青森県へと入り、大鰐温泉(7:39-39)を発車すると弘前(7:51-52)に到着した。函館に到着したらどこに行くかまだ決めてなかったので時刻表を眺めながら「青函ゾーン」で行ける森駅まで行ってみるか?

 

大釈迦鶴ヶ坂津軽新城ブルトレ撮影地を確認して滝内信号場を通過すると津軽線の線路と合流して青森(8:25-51)に到着。大阪から遥々牽引してきたEF81-108が離れて今夜の4002レまで運用休止となり、青森止まりの25形客車も外されて先頭には青函運転区のED79-11「A106」が連結されて「日本海1号」も5両(電源車を含むと6両)とコンパクトになる。青森駅での26分停車ではホーム売店で現地でないと買えない果汁100%のシャイニーりんごジュースを買ってカニ24-106のテールマークを眺めて車内に戻った。青い海と白い波に日本海の文字のコントラストが美しい。

 

ただ機関車に付いてるヘッドマークの絵に描かれてる洋上の星が無いのが笑えるけど所定時刻で「日本海1号」は進む方向を変えて発車した。津軽線に入ると新油川信号場(8:59-9:00)の運転停車で高速貨物3058レとのすれ違いを済まし、奥内駅の先から右手に陸奥湾の海が近づいてきた。「日本海1号」の良さは個室の窓から陸奥湾江差線だと津軽海峡函館湾が見える事で「北斗星5号」の個室からだと見えない景色が見えるのが特徴だ。今度は郷沢(9:14-15)で1010M「はつかり10号」とすれ違うための運転停車する。

 

郷沢駅から更に陸奥湾に近付いて蟹田駅の手前から海とは分かれて内陸を走り、新中小国信号場からは複線の高速軌道に入り大小幾つかのトンネルを通過すると青函隧道に進入した。途中の竜飛海底駅吉岡海底駅を通過して青函トンネル出口に続く第一湯の里トンネルを出ると北の台地の地上に出た。数分で知内駅「現湯の里知内信号場」を通過して木古内(10:32-33)に滑り込んだが1014M「はつかり14号」と停車ざまにすれ違った。木古内駅を出て暫く走ると待望の津軽海峡が見えてきたが江差線内は現車6・換算23の割には遅く走る様で現車12・換算45の「北斗星」と大差ない速度だ。

 

茂辺地駅の先からは函館湾の車窓に変わり、列車の速度が、落ちると上磯(11:03-07)に運転停車して3124レ「快速海峡14号」とすれ違う、終着駅に近いのに運転停車するのはどうかと思うけど単線区間のつらいところ!。北斗星5号のお手軽撮影地でもある清川口久根別の大野川橋梁を渡って列車は七重浜駅を通過すると函館本線と合流して五稜郭駅を通過して終着駅函館には11:20に到着した。距離1183.9km、運行時間17時間33分の旅だったけど14年ぶりに乗った「日本海1号」には充分に満足出来た寝台特急の旅でした。

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★

東京駅と夜行列車

本日から始まる新企画「夜行列車と駅」、夜行列車の始発駅で終着駅でもある"駅"に付いて記そうと思う。第一回目の本日はどこの駅にしようかと悩んだ挙句、日本の首都であり、官公庁や企業の本社が多く集まる千代田区丸の内に大手町と中央区日本橋に近い東京駅を取り上げるには誰も異存はないだろう。弊ブログのメインコンテンツでもある想い出夜行列車レポートだけでは明らかに先細りになってこのままのブログUP頻度では2028年くらいに終焉を迎えそうな気もしなくもないのでネタを増やそうかと思った次第である。

 

初めて東京駅へ停車してるブルートレインを見に行ったのは中学1年生の頃で確か1971年だと記憶するが、東京駅デビューとしては遅いけど僕が小学生の時は1人で地元の駅へ行く事は禁じ手で1人でいるところをもし先生やクラスメイトの親やPTAに見られたらそれこそえらい事なったし、もし警察や鉄道公安管に補導されたらまずい事になる。だから中学1年の夏休み早々に決行した。当時の東京駅、在来線は15番線まであって寝台特急や特急に急行などの優等列車は14・15番線から発車して11番線はホームのない線路のみで機関車の機回しで使ったり、東京~上野間を通過する列車の専用線でもあった。

 

東海道線在来線(横須賀線含む)のホームが7番線から15番線まで多かったのは東海道新幹線開業前に東京発着の中京・関西・山陽・山陰方面優等列車が多かった名残だと思うけどその後に14・15番線は新幹線増設ホームに変わった。当時の東京発着ブルートレインは全て20系で「さくら」(1レ・2レ)、「みずほ」(3レ・4レ)、「はやぶさ」(5・6レ)、「富士」(7レ・8レ)、「あさかぜ」(9レ・10レ・11レ・12レ・13レ・14レ)の5系統7往復で下関あさかぜの13レと14レ以外は全て博多あさかぜだった。3往復とも南シナの20系だけど特筆するのは9レ・10レはA寝台やA個室を含めてナロネ20、ナロネ21、ナロネ22が合計5両連結したシーンは眩しかった。

 

無論11レ・12レにもナロネ21とナロネ20が2両、13レ・14レにはナロネ21が2両連結してて全て食堂車連結して元祖ブルートレインの貫禄たっぷりで当時は「あさかぜ」推しな自分でしたが、「出雲」「瀬戸」「紀伊」は夜行急行で10系寝台車と旧型客車で組成されてて、ブルートレインとは一線を画して眼中はなかった。「さくら」「みずほ」「はやぶさ」「富士」もナロネを2両していたが、東京駅(18:30発)から西鹿児島駅(18:57着)の「富士」の走行時間は24時間27分も時間を要し、上り「富士」は24時間35分もかかって是非とも機会があれば乗りたいと思った。最後に1971年東京駅初訪問の想い出に急行「銀河」を記しておこう。

 

当時の「銀河」は定期列車「1号と2号」の2往復(101レ・102レ・103レ・104レ)あり、季節列車の51号(6103レ・6104レ)1往復に臨時の52号(9117レ・8114レ)が設定されており、101レ・102レは東京⇔大阪を結ぶ全車寝台でA寝台2両を含む10系寝台。103レ・104レは東京⇔姫路を結ぶA寝台2両とB寝台6両に旧型客車の座席車で全車指定席だったが上りだったか下りだったか失念したが自由席だった記憶がある。季節列車の6103レ・6104レと臨時の8117レ・8114レは寝台を連結しない全車座席車で詳細不明だがあと1年早ければ大阪万博EXP70波動輸送の臨時夜行が見れたかもしれないのに残念でならない。

 

自分は都内の私立大学付属高校だったので東京駅はちょくちょく下校後に通う事になるのだが「さくら」「みずほ」が14系寝台車に変わり、「はやぶさ」「富士」「出雲」が24系24形に装いも変わり、急行だった「瀬戸」も特急に格上げされて20系化。急行だった「紀伊」も特急化されて14系寝台車になり、特急「いなば」なるニューフェースも増えて14系寝台車になって東京⇔名古屋間は「紀伊」と併結はちょっとしたニュースだった。しかし東京発着の寝台特急は名門東京機関区のEF65Pに愛称マークを付けていたが「いなば」+「紀伊」だけは浜松機関区のEF58牽引の愛称マーク無しなのが解せなかった。

(本件に付いては浜松機関区のEF58はヘッドマークステーがない機関車もあり、労使間との間でヘッドマーク取り付けが就業に含まれてなかったと話を聞いた事がある)

 

東京駅初参戦より夜行列車に乗るのは夢の夢で当分無理そうだけど僕が高校3年生(1976年秋)に嬉しいニュースが流れて来た。それは「はやぶさ」「富士」「出雲」に二段B寝台の24系25形が投入されたからで今までは関西発の「あかつき」「彗星」「明星」でしか乗れなかった24系25形のブルートレインが東京駅から乗れる嬉しさでクラスメイトのM君と早く乗ろうと計画を進めるが当時は週休二日制ではないので九州まで行ったら戻るのが大変だし、かといって冬休みまで待てない感じである。乗るなら新型の25形100番台にしようと決めて翌年1977年10月8日にデビューしたばかりの25-100「瀬戸」に乗車した。

 

東京駅初参戦より6年待って初めて待望のブルートレインに乗ったが詳細は弊ブログにレポートを纏めている。生まれて初めてのブルートレイン乗車に時間がかなり経過してしまったけど無事初乗車を済まし、翌年の1998年には憧れだった往路「はやぶさ」・復路「富士」のフル乗車を済ますが東京発着ブルトレの象徴だったEF65PからEF65PFへの切換時期にかかってて、往復とも直流区間はEF65PF(1000番台)だったのが何とも恨めしかった。話が前後するけど東京駅発着の夜行列車では始めて乗ったのが1976年3月に大垣夜行の347Mだったけど153系や155系の鈍行夜行は当時眼中なかったのは本当の話。

 

機関車が牽引する客車ならまだ夜汽車の旅情や風情があるけど急行「東海」と共通運用の見慣れた153系・155系電車では興味が無いのは致し方ないけど時の経過で一番好きだった「下りあさかぜ1号・上りあさかぜ1号」(9レ・10レ)も20系のままで25形になるのが遅くて自分の中ではどうでもいい存在に変わっていた(9レ・10レは1978年2月1日から24系25形になった)。月日が過ぎると東京駅を発車する夜行列車も大きく変わり、1976年には寝台急行「銀河」が20系になり、臨時の「銀河51号」(6101レ・6102レ)に14系座席車が投入されて更に1978年には「いなば」が「出雲3・2号」に変わり、「紀伊」が1982年2月に廃止されて残念無念。

 

1970年台後半以降は東京発着夜行列車についてまさに激動だったけど東京駅12・13番線ホームも東北・上越新幹線のホーム工事で消え、日本国有鉄道(JNR)が解体されて新制JRになると東京駅発着夜行列車にとって縮小・合理化・整理によって自分が思ったより早くブルートレインが終息する日が近付くのである。かなり大昔の記述もあるため、間違っている箇所があればお許し願いたい。

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★

臨時大垣夜行 9375M

1999年3月12日(金曜日)、 子供が飯田線に乗りたいと前々から言っていたので1999年春の青春18きっぷが3月1日~4月10日まで使用出来るのと第二土曜日と第四土曜日は学校が休みなので都合がいい。臨9375M~豊橋飯田線豊橋~岡谷」~中央線~新宿のルートでプランニングするが朝は豊橋から岡谷まで直通する列車がないのが残念だ。早めに品川駅7番線の臨時大垣夜行9375Mの最後尾乗車口に並ぶとまだ春休みには早いのか一番乗りで先頭に並んだが快速「ムーンライトながら」の指定席は早々満席だったので空いてる訳ではない。

 

しかし発車時刻2時間前には長い行列が出来ていつもの臨時大垣夜行の情景となったが、今宵の9375Mは東チタ車の167系8両「2M2Tの×2ユニット」との情報で今夜は確実に相席となるがどんな人が来るかこれも旅の楽しみである。誰か知った人でも来れば話が弾むのにと思っても今夜は三脚にジュラルミンケースの姿は見かけないので知り合いとは遭遇しそうもない。臨時大垣夜行が発車する時以外は人気のない7~10番線(昔は団体専用列車が発着するため、臨時ホームと称していた)も将来的に東京~上野間を繋がり、東海道線と東北・高崎・常磐線が相互乗り入れすればこのホームも様変わりしそうだ。

 

長い時間待たされてようやく23:25に9375Mとなる電車が回送で入線するとホームも活気付いて元気になり、いよいよ乗車である。扉が開くと一斉に乗車が始まって田町電車区のクハ167-1に乗車して中ほど進行方向右側のボックス席を親子で向い合って窓際をキープした。すぐに「ここ空いてますか」の声にどうぞとお答えすると中学生の男子生徒と思しき2人連れだが完結明瞭に話せるのは親の教育がよいのか学校で真面目に勉強しているのであろうが我が子と比べると親として劣等感を感じてならない(苦笑)。

 

聞けば都内の区立中学2年生「翌月から中3」の友達同士で青春18きっぷで名古屋・岐阜のローカル線めぐりして帰りは快速「ムーンライトながら」で2夜行の旅との事だったが、下りの快速「ムーンライトながら」指定券が取れなくて9375Mを選んだとの事だが青春18きっぷシーズンの金曜日発下りは指定券が即座に完売するのでみどりの窓口にて10:00打ちしてもらうといいよとレクチャーする。やがて9357Mは品川駅を23:55に発車して375Mの2分後を追って西へ向かうが車内はほぼ満員でやっぱり青春18きっぷシーズンは流石に混雑する臨時大垣夜行9375Mではある。

 

僕だけ缶ビール片手に4人でライトな鉄道話をしていると大森~蒲田付近で日付が変わって多摩川(六郷川橋梁)を渡ると神奈川県に入り、川崎(0:05-06)に到着してこの駅がら日付変更となるのでいよいよ青春18きっぷの使用開始だ。話は青春18きっぷに移り、今では定期の快速・普通夜行列車は「ムーンライトながら」「ムーンライトえちご」「ミッドナイト」「2921M」(2921Mは1999年10月付で紀伊田辺 - 新宮間廃止)の4系統しか残ってないけど下りの「ムーンライトえちご」と「ミッドナイト」は普通列車接続で繋がるから楽しめるけど酒田~青森間がオールロングシート701系は悲惨などとレクチャーした。

 

横浜(0:13-14)を発車しても青春18きっぷネタの雑談と僕の講釈は続き、1982年3月に"青春のびのびきっぷ(のちの青春18きっぷ)"が発売されても気軽に乗れる普通・快速夜行列車が8系統(43レ/44レ・347M/344M・441M/442M・733M・731D/762D・はやたま・山陰・ながさき)が毎日定期列車で走っており、青春18きっぷ天国であった旨を話すとそれらを知らない若い世代も共感してくれた。大船(0:30-30)・藤沢(0:34-45)を発車した頃には僕ら親子の今回旅プランについて話して青春18きっぷを有効的に使うレクチャーや青春18きっぷに限らない相談を受けてアドバイスとして返した。

 

臨時大垣夜行9375Mは辻堂(0:38-39)・茅ヶ崎(0:42-43)・平塚(0:47-48)に停車するが車内も静かになって来たので今夜はお開きにしたけど延々と50分弱喋り倒すと流石に疲れて今宵は熟睡できそうだ。僕と息子はお互いに窓側の空間に足を投げ出しあって寝る準備をしたら若い2人も同じ様に足を投げ出しあって「おやすみなさい」を言い合って目を瞑るが大磯(0:51)や二宮(0:56)は記憶にあるが、その後は寝てしまったのだと思う。以降は就寝中の停車駅と時刻・・・国府津(1:01-01)・鴨宮(1:06)・小田原(1:09-10)・熱海(1:29-30)・三島(1:43)・沼津(1:50-56)・富士(2:12-13)・静岡(2:43-59)・浜松(3:58-4:09)。

 

目が覚めたのは下車駅でもある豊橋駅(4:39-52)へ入線した時で急いで息子を起して下車するが危ないところだった(携帯電話のアラームは4:40にセットしておいた)。13分停車なので慌てる事はないけど中学生の2人連れに窓際を譲って自分達は下車すると快速「ムーンライトながら」も停車して豊橋からは9375Mが先行する。飯田線始発の6:00発天竜峡行き621Mまで約2時間あるのできれいな洗面台を探すもトイレ以外ない。ゲダ電が走っていた1982年くらい前まではホームに洗面くらいは出来る場所もあったけど今は撤去して自動販売機が置かれていた。

 

この先僕たち親子は豊橋6:00発の621Mで天竜峡まで行き、そこから243Mで岡谷に出て岡谷13:19発の1530Mで小淵沢まで行って小淵沢14:30発の554Mで立川まで行き、中央特快で新宿から山手線で田端まで帰った。1日当り2,300円の青春18きっぷで日付が変わった川崎駅から東海道線豊橋飯田線~岡谷~中央線~を約10,000円分乗れたのは大きかった。しかし大垣夜行豊橋で降りるなんて芸当はもう懲り懲りである。幾ら安くても未明の4時台で下車するのは若い人のやる事・・・乗れば熊谷駅くらいで寝てしまう快速「ムーンライトえちご」を新津駅で降りるのとは訳が違う。

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★

 

ホワイトスノー安比・盛岡(Bネ)

1999年3月5日(金曜日)、 上野駅13番ホームにて臨時寝台急行「ホワイトスノー安比・盛岡」の入線を待っていた。「ホワイトスノー安比」の花輪線内でのDE10重連牽引シーンは既に撮影済みだが、まだ1回も乗車経験がなく、今回は乗っておこうと思ったけど盛岡駅到着は5:42なので5時には起きないといけないため、熟睡できる時間は少ないかも知れない。最後尾となる1号車乗車位置で入線を待っていると臨時寝台急行「ホワイトスノー安比・盛岡」(8105レ)を待っていると21:28に推進運転で入線するが発車時刻が22:16なのに何と48分前の入線とは恐れ入る。

 

早速尾久客車区のオハネフ24-22に乗り込み、三脚と縦ジュラを上段の荷物室に置いて、機関車確認へ赴くと田端運転所のEF81-93号機で1号車から4号車までが盛岡止まり、5号車から8号車と電源車が安比高原までの運転でオール尾久車だけど24系24形と24系25形の混結である。自分が乗ってるオハネフ24-22は24系24形だけど金帯で扉が折戸じゃない寒冷地仕様なので北斗星の予備車みたいである。流石に盛岡までの利用は少ない様で1号車は殆ど空席。しかし上野~盛岡間での利用なら寝台特急はくつる」より安く、長く寝て行けるので需要はありそうだけど知名度の低い臨時列車が仇なのか。

 

しかし一部期間の一部の金曜日にしか運転されない臨時列車でもEF81にはホワイトスノー安比・盛岡の季節感を感じられるヘッドマークが掲げられて立派だと思うけど電源車とオハネフ24のテールマークは"臨時"とつれない・・・これだからJRはヤボなんだよと空いてる車内でスキー列車なのに場違いな写真機材や大型三脚を担ぎ乗り込んで缶ビールを飲んでいる40歳「当時」のおじさんの方がヤボだぞと言われそうだ。春臨の臨時夜行列車では常磐線佐貫駅「21:47発」から盛岡駅「5:14着」まで臨時特急「フレッシュスノー盛岡」なる列車がE653系で2/19・2/26のみ設定されている。

 

発車前までに行数が増えてしまったが入線から発車まで48分も停車していたので致し方ないと言い訳していよいよ22:16、臨時寝台急行「ホワイトスノー安比・盛岡」が上野駅を発車した。発車早々に車掌が回って来たので株主優待で安く買った寝台急行券と乗車券を見せて明日は5時起床なので明日盛岡駅で待ち合わせするK君からのメール送信してから早々に就寝したが以降は停車駅と時刻。大宮(22:42-43)・宇都宮(23:43-44)・黒磯*(0:26-34)・仙台(3:10-22)「*は運転停車」・・・福島でも運転停車してるかも。運転停車の仙台駅では後から来る寝台特急はくつる」(3:15-17)を先行させている。

 

目が覚めて起きたのは5時を回っていたが、急いで洗面とハミガキを終えて着替えて下車準備を行っていると臨時寝台急行「ホワイトスノー安比・盛岡」は徐行が始まり、5:42に盛岡駅に到着した。盛岡駅へ到着すると1号車から4号車まで切り離して5号車から8号車と電源車の合計5両にDE10重連にて安比高原駅まで運転(実際には回送として荒屋新町駅まで運転)するが自分は急いで改札を出てK君と落ち合い、K君の車で花輪線へと向かうが盛岡26分停車と好摩1分停車を利用して、東大更~音更で撮影。大更駅でDE10 1102+1109牽引の9915レ「ホワイトスノー安比・盛岡」を撮影。

 

更に松尾八幡平駅の27分停車を利用して2発目を安比高原~赤坂田で撮影、7:42に安比高原に着いた列車は4分停車後、7:46に発車して機関車の付替えを行う荒屋新町(8:01着)まで回送されるのでその辺で下り3発目を撮影。荒屋新町9:05発の回送9928レを撮影するため、場所を選定するが上り回送9928レは途中停車が短くて追っ掛けは困難だと諦めて雪の斜面を無理矢理登って俯瞰気味に赤坂田~安比高原のカーブで撮影した。DE10などのセミセンターキャブDLはショート側先頭の方が恰好いいのだがロング先頭を格好良く撮影するには俯瞰が有効的だとK君のお説を聞きながら帰途につく。

 

二人とも朝ごはんがまだなのでファミレスで朝食を済ましてから東北自動車道の滝沢ICから乗るも昨夜から数時間しか寝てないため、眠さも限界なので滝沢PAから阿武隈PAまで自分が代わりに運転したが路面はドライで運転しやすい。当時僕は「カルディナ」というステーションワゴンに乗っていたがK君のデリカ・スペースギアは車高が高いので眼下が見渡せて運転しやすいが雪道仕様の4WDなので燃費が悪そう。途中のSAで遅い昼食を食べて近くまで送ってもらい、ガソリン代と高速代に+αを渡して判れた。

 

因みに自分が乗車したオハネフ24-22は1999年12月3日付で尾久客車区から青森運転所へ転属後に寝台特急「あけぼの」等で使用されるが、2002年1月15日より「あけぼの」の普通指定席"ゴロンとシート"専用車として運用する事になった。

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★

寝台特急 はくつる(Bネ)

1999年2月24日(水曜日)、急遽翌日朝1番で青森市まで行く仕事が発生したため、羽田空港からの青森空港行き最終便JAS219便は18時台で終っているので寝台特急はくつる」しか選択肢が残ってない。定時で一旦帰宅して風呂と夕飯を済まして出直すが勤務先最寄り駅で特急寝台券と乗車券を株主優待割引にてびゅうカード決済で購入して出直すが一番乗車率の低い禁煙車2号車下段で確保。自宅を21:30に出発して山手線にて移動、上野駅15番線で待っていると尾久駅寄りから推進ライトを光らせながら推進運転で回送11列車が入線して22:08にホーム横付け。

 

ドアが開き、早速2号車へ乗車するとオハネ25-152「盛アオ」だったが牽引機を見に行くと青森運転所東派出のEF81-134号機に"はくつる"マークが格好良く光っていた。寝酒用のカップ氷だけ買って車内に戻ると発車5分前だった。今夜の列車ホテルは2号車10番下段で周囲は乗客が殆ど乗っていない。マルスの特性からすれば3号車から発券して最後が2号車(ただし個室などはそうとも限らない)を売る事になるので多客期や繁忙期以外はいつも乗車率が少ない車両でもある。そうこうしていると発車時刻が近付き、寝台特急はくつる」は定刻22:23に上野駅を発車した。

 

早々と浴衣に着替えてベッドの上にあぐらを書いて薄型のステンレス容器の中に入ってるウィスキー(自宅でサントリー角瓶を詰めてきた)をカップ氷に注いでこれまた自宅から持ってきたソフトサラミをツマミに車窓を見ながら飲んでいると車掌がやってきたので寝台特急券と乗車券を呈示。そういえば寝台特急はくつる」が24系化されておよそ5年が経過しているがそもそもは「あさかぜ1号・4号」からのB寝台は100番台や200番台が中心だったのに5年目ともなるとオハネ25-3など古めかしい1974年3月18日に新製落成して1980年10月、向日町運転所から転属した初期車と混結しているのが笑える。

 

自分が今乗っているオハネ25-152だって1976年9月10日新製落成なので2年6ヶ月の差だけど25形0番台初期車は古く感じてしまうのが不思議でならないw。1976年9月と言えば自分が高校3年生の時にニューブルートレインが誕生して1976年9月で25形100番台が投入、1977年9月には下関と広島へ25形100番台と200番台が投入されて正に新型25形の増備車祭りであった。あれから23年も経過してすっかりブルートレインも衰退して車両も老朽化したのも増えているとオハネ25-152に乗りながら当時を懐かしく思いながらウイスキーを飲んでいると昔の事がそんな昔ではないような気がしてくるのが不思議だ。

 

北斗星を除けば上野駅から北を目指すブルートレインも「はくつる」と「あけぼの」だけになってしまい、随分寂しくなってしまったけど観光夜行列車を除けばもう時代のニーズに合わないし、そんなに長く続かないような気がする(東北新幹線新青森開業までかな?)。それでもブルートレインは乗っているだけで心が豊かになるし、乗れる限りは乗ってやりたいと思ってる・・・なんて考えていたら列車は大宮(22:49-50)に到着した。上野駅を「はくつる」より3分前に発車した3555M「通勤快速(土曜日と休日は快速ラビット)」を黒磯まで抜けないのは前から納得できなかったけどそろそろ寝る事にしよう。

 

就寝中の停車駅と時刻は以下のとおり「*=運転停車」、宇都宮(0:01-02)・黒磯*(0:41-50)・郡山*(1:38-39)・福島*(2:13-15)・仙台*(3:15-17)・一ノ関*(4:23-25)・盛岡(5:30-32)・一戸(6:24-25)・二戸(6:30-31)・三戸(6:43-44)。目が覚めたのは三戸駅に入線した時で7時間以上は寝ているため、気分はすこぶるよいが八戸駅で買物したいので急いで着替える(ホーム自販機で缶コーヒーを買うだけでも浴衣姿で主要駅ホームに降りるオヤジみたいな事は避けたいので急いで洗顔&ハミガキを済まして着替えていると何度か撮影で訪れている苫米地~北高岩を通過して八戸(7:00-02)に到着した。

 

2分停車を利用してホーム自販機で甘くないビタータイプの缶コーヒー(190ml缶)を購入して車内に戻るが八戸から終着駅の青森まで「はくつる」の5号車と6号車は立席特急券ヒルネの対象区間に入る。缶コーヒーを飲みながら上北三八地方の雪景色を眺めながらまったりしていると小牧温泉最寄駅となる三沢(7:18-18)に到着。雪景色を見ながら温泉でも入りたくなるけど今日は出張なので温泉は無理だけどこの先には青森市内に浅虫温泉も有名だけど温泉宿泊は家族旅行以外縁がない私であった。列車は進行方向右側に海と繋がる汽水湖(海水が交わる湖)でもある小川原湖が遠くに見えてきた。

 

デパートの青森県物産展で小川原湖名産のシジミを買ったら大粒で美味しかったのを思い出したが青森県五所川原市にある汽水湖十三湖で採れるシジミも美味しくて有名だけどどうも青森県の貝類は陸奥湾の名産帆立貝が有名になったのは水揚げ量の違いらしい。シェーバーで髭を剃りながら空腹を感じながら列車は野辺地(7:40-41)に到着。鉄道防雪林で有名だけど南部縦貫鉄道線が休止になって約2年弱となって寂しくなったが、今では大湊線しか接続していない。その大湊線も定期列車ではキハ110系しか走らない線区になってしまったのがのが残念無念。

 

野辺地を発車するといよいよラストスパートで次の停車駅は青森だけど意外と車窓からは見所が多くて東北線らしくないポイントもある。海沿いを走るのかと思えば急に山の中に分け入り、田園地帯を走って長いトンネルを出ると浅虫温泉駅手前から海岸沿いに入る展開が私は好きである。早合点な人は津軽海峡が見えたと思う人がいるかも知れないがここから見える海は陸奥湾である。簡単に言えば大湊線下北駅大湊駅から見える海と津軽線蟹田駅付近から見える海も陸奥湾なのである。その陸奥湾野内駅まで続くと海から離れて青森運転所東派出が見えてきた。

 

青森信号場を通過すると青森駅まで向かう線路と奥羽線まで行く線路が分かれる分差器を越えて寝台特急はくつる」は定刻8:15に青森駅へ到着した。まだ時間があるのでホームの立ち食い蕎麦コーナーへ行くと顔馴染みの女性がいたので「おはようございます」と挨拶してから天ぷら蕎麦と朝限定のおにぎりを注文して遅めの朝ごはんとした。この立ち食い蕎麦スタンドでは蕎麦を食べるより、ワンカップの濁り酒を買う事が多くて事実キヨスク売店の濁り酒よりこちらの方が美味しいのだが店の人から見れば蕎麦を食べない変な客という事になってるらしい。

 

前回の青森出張の際も「はくつる」を降りてこの蕎麦スタンドで朝蕎麦を食べているけど今日はお酒の方はよろしいのですかと冗談混じりに聞いて来るので蕎麦を噴出しそうになったけど朝食を食べ終えて改札口を出てタクシー乗り場へと急いだ。

 

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★

寝台特急 北斗星5号(B1)

本来なら1999年1月に「北斗星」の車両運用を調べてFAXや後のE-mailで情報をやり取りして仲間内だけの非公開WEBサイトで見れるようにした某グループが毎年新年会or忘年会を札幌か東京で持ち回りでやるようになったのだが1998年度(1998.4.1~1999.3.31)は札幌で開催と決まったのだが1月は皆の都合が悪く、では翌月の2月に変更になった。しかし第1週は札幌雪祭り時期でホテル確保が難しく、第2週は飛び石4連休となって難しく、最終的に2月20日の第3土曜日に落ち着いた。非公開サイトの活動については2023.1.30のブログ記事「鉄道趣味とインターネット」参照。

 

北斗星5号」のBソロは1ヶ月前の10時打ちを最寄駅で頼む予定だったけど1月19日は米子市出雲市出張があったので信頼してる駅みどりの窓口で10時打ちをお願いする事が出来ないため、発売日の1ヶ月前によくお世話になってるJR北海道プラザ・東京店に依頼して特急寝台個室券と周遊きっぷの"札幌近郊ゾーン"で帰路「かえり券」はJAL航空券で手配してもらった(B個室の部屋数が少ない北斗星5号だけに心配だったけどこれで安心)。帰りに上り北斗星が乗れないのは残念だけど翌日の2/22は朝から大切な会議があるのでどうしても休む訳にはいかず、つらいところである。

 

1999年2月19日(金曜日)、17:00ジャストで定時退勤して一旦帰宅後、風呂に入って私服に着替えてから上野駅へ向かって車止め付近の広場にある弁当屋を覗くとチキン弁当の在庫があるのを確認すると"江戸前あなご弁当"なる始めて見た新発売らしい駅弁があるので購入してから13番線ホームの9号車乗車位置で待っていると回送5レが18:46に入線したのでドア扱いが始まると9号車に乗るとオロハネ24-501だった。通常は3号or4号のJR東日本編成で使っており、「本件については最後の方に記す」運がいい。牽引機を確認(田端のEF81-86)して缶ビールを購入して7番個室に戻った。

 

北斗星5号の場合、入線してから発車までは17分あるので牽引機確認とビール買出しなどでは時間的には余裕があるからいいけど東京駅発のブルートレインは10分程度の停車時間が多いため、時間的に厳しく、札幌駅発の北斗星2号は僅か6分間で始発駅の停車時間が短すぎる・・・なんて事を考えていると上野駅を19:03に発車。北斗星5号に乗るのは5ヶ月振りだけど北海道へ行く寝台特急の個室へ乗るとテンションが高まり、缶ビールでも開けようとすると携帯電話に連絡が来た。札幌への新年会へ行くメンバーからで6号車のロビーカーで待ってるから各自飲み物と食べ物持参で集合とのだった。

 

列車は荒川を渡ると埼玉県に入り、車掌が来て切符類を呈示してから酒類と弁当にツマミ一式を持って7番ソロに鍵を掛けてからロビーカー「オハ25-504)」へ移動すると3名がコッチコッチと手招きしている。早速自分を含めて4名で乾杯して飲み始めると大宮駅ら1名が増えるとの事で列車は大宮(19:28-29)に到着して1名が直接ロビーカーへ来て加わった。合計5人は全員1人旅なのだけど東京組の幹事が北斗星に乗ったらロビーカーで前夜祭気分で飲もうという話に落ち着いたらしい。こうして現在5名がロビーカーへ集まり、声は控え目にでも気分は晴れやかに乾杯をした。

 

HSG(Hokutosei Study Groupの略)参加グループが6人も集まったが先行北斗星や飛行機で来る関東メンバーもいるらしく、今宵は5レ前夜祭と称して各自持ち寄った食べ物に北斗星のネタ話をつまみに酒盛りが始まる。上野駅で購入した缶ビールは瞬く間に飲んでロビーカーの自販機でサッポロCLASSIC缶を購入して2本目を飲み始めるが、上野駅で購入した"江戸前あなご弁当"を食べながら飲むと「うなぎ弁当」とは豪勢だなと勘違いされたけど焼き穴子の量、厚み、柔らかさともに満足で確かに見た目は何となく、うなぎ弁当に似ているかも知れないがこれが結構美味しくお気に入り駅弁になりそうだ。

 

今年(1999年)初めての北斗星乗車だが北斗星を媒体にして知り合った同じ趣味の仲間と一緒に北斗星車内で飲むのも楽しく、愉快であるが雑談する内容がかなりコア的と言うかマニアック的でロビーカーに居た他の乗客は何を話しているか判らないかも知らない。自分は回5レ~5レ~回6レの全駅停車駅(運転停車駅含む)と通過駅と信号場(但し出発信号機がない停留所扱いの駅を除く)の通過時刻をExcel97「Excel version8.0」で作成して印刷してきたのだが駅名は全て電略なのでそれもネタになってしまい ラオ ワミ ウタ ってどこだの話になって爆笑「ラオ⇒白岡、ワミ⇒東鷲宮、ウタ⇒宇都宮貨物ターミナルが答」。

 

飲みながらの談笑は時間が経過するのが早く感じられて5列車は宇都宮(20:27-29)に入線したので場所を変えてパブタイムを待つ席に移動して談笑する。宇都宮駅からHSG仲間が1名増えたので軽い新年挨拶を周囲に聞こえない様に小声で終らせて雑談大会の続きをしていると黒磯駅を定刻21:05に通過すると21:10にグランシャリオのアテンダントが案内に来てくれて6人で4人用テーブルと通路挟んで隣の2名用テーブルも確保した。大宮駅と宇都宮駅から乗り込んだ2人は食事メイン、上野駅から乗り込んだ4名は飲みメインで上手くテーブル分けが出来て流石と思った。

 

4人用テーブルはソーセージ盛り合せ、ピザ、サラダ、ハンバーグ単品など好みの料理を取って小分けにして味わいながら好きなお酒(自分はウィスキーミニチュア瓶)で乾杯して盛り上る。郡山(21:54-55)を発車したので会計を済ませて各自個室に戻るが9号車に同じメンバーが5人も乗っているなんて初めて気が付いた。着替えてすぐに寝てしまったけど就寝中の停車駅と時刻は以下のとおり・・・「*は運転停車」福島(22:29-31)・仙台(23:30-32)・一ノ関*(0:37-39)・盛岡*(1:43-45)・青森*(4:13-20)・蟹田*(4:45-46)。目が覚めたのは5:00くらいで新中小国信号場(4:53通過)と津軽今別(5:02通過)の間くらい。

 

どうせ上磯くらいまでは車窓も真っ暗なので寝台でウトウトしながら青函隧道に突入したけど二度寝してしまったらしく、二度目の起床は茂辺地~矢不来信号場の辺りだったが外は明るくなって来たので通路に出て景色を眺めようとすると昨夜ロビーカーとパブタイムで乾杯した仲間もいたので一緒に朝ごはんを食べる事になり、ロビーカのグランシャリオ寄りに集合する事にして自分は洗面とハミガキを終らせて着替えてから少し早めに7号車のグランシャリオへ向かった。すでに3人が集まっており、SA1利用の1名は朝食は部屋で食べ、もう1名は寝坊する旨である。

 

因みに青函区間は青函運転所のED79-10を確認、函館から牽引するDD51の前ソ「A102運用」は函館運転所の1100号機は確定で重連次位の次ソ「A106運用」は不明との事で撮り鉄でもないのに機関車運用を捕捉しているのは関東在住なのに凄いと思う。なんて早朝から鉄分の濃い話で盛り上っているとグランシャリオのスタッフが呼びに来てくれたので一番乗りで4人テーブルにつくと列車は五稜郭駅を通過して4人とも和朝食をオーダーすると「北斗星5号」は函館(6:34-40)に到着した。そういえば函館駅へ入線する前に函館運転所の広いヤードにオホーツクかスーパーとかちキハ183系が見えたとの事。

 

北斗用のHET183系ではないのかと色んな意見が出るが函館運転所のキハ183系はHETキハ183系と主に団体で使う原色キハ183系0番台しか配置はないので運ばれた和朝食を食べながら車窓を確認すると確かにオホーツク用で先頭車がキハ183-200番台車らしき編成が見えたけど謎である。オホーツク色のキハ183系でハンドル訓練(乗務員訓練)でも行っていたのであろうか?疑問は解決しなかったけどグランシャリオの和朝食は安定の美味さですっかり満足したものの、一番乗りだった我々で4食、更にA個室からの事前に予約があり、限定8食は即座に終了して並んだのに先着8食から漏れた客もいた様だ。

 

別会計のコーヒーを飲みながら雪が積もる大沼国定公園の小沼と大沼を眺めながら列車は駒ヶ岳への登り勾配に入り、駒ヶ岳が風雪で見えないけど東山駅(現廃駅)から姫川駅(現姫川信号場)付近から下り勾配になったくらいで会計を済ませて解散して自分は9号車7番の個室へ戻る。森~八雲間は噴火湾(内浦湾)沿いに走るため、車窓を眺めているとmail着信「ロビーカーが空いてるから集合との事」で早速移動開始。営業中の食堂車を通過するのは忍びないけど大きな区画に4人集まって自分と10号車12番の主他が集まると全員集合したので朝から鉄分の濃い雑談会が始まった。

 

仲間内での雑談中にロビーカの大きな窓から黒岩~北豊津間で午後の上り列車を俯瞰する撮影地をロケハンするが道央自動車道の後ろにある山しか見当がつかなかった。列車は函館駅を発車して初めての停車駅でもある長万部(8:11-11)に停車するが秒単位の停車では商売にならないのか名物だった"かにめし弁当"の立売りも消えてしまった。また仲間内との雑談で何で5レは森駅と八雲駅には停車しないのだろうかという謎も話し合う事になるが、後方から5001Dが接近していると予測するが2分目ダイヤグラムを見ると実は5001Dの前に3000番台の高速貨物も5レの続行として運行されている。

 

旭浜駅「現廃駅」と静狩駅を通過すると新静狩隧道と新辺加牛隧道に入り、一瞬の内に小幌駅を通過すると我々6名が一斉に声を上げるのでロビーカーにいた他の乗客は一体何が起きたとこちらを向くが一部ニンマリしてる人は秘境駅を知ってる鉄道ファンだと思われる。礼文、大岸、豊浦と風光明媚な噴火湾の海沿いを走ると洞爺(8:41-47)に到着した。6分間停車するのは5001Dを先行退避するためで我々は寒いのでホームには降りなかったけどホームで雪と戯れる家族連れや若いカップルを見ていると微笑ましい。我々35歳から41歳までのaround fortyオッサンには眩しく見える。

 

5001Dが入線してすぐに8:44発車すると5レも後を追う様に8:47に発車して洞爺駅からは暫く単線区間に変わり、北入江信場を通過して有珠駅から再び複線になった。進行方向左側に有珠山昭和新山が見えてくると伊達紋別駅を通過すると噴火湾の海岸が近付いて海から近い駅として有名な北舟岡駅を一気に通過。海から近い駅としては鶴見線の海芝浦駅、信越本線青海川駅などが上げられるけど海芝浦駅は海というより運河なので海と川が混じったのを海と言うのは如何な物であろう。なんて話で盛り上りながら1997年12月改正か1998年3月改正で5レの時刻が変わってる話題へ移行。

 

5レの洞爺は改正前までは8:41-41だったが、5001D先行退避で8:41-47に変わり、その後も微妙にダイヤが変わって札幌着10:50が10:59に伸びてる。室蘭本線の特急高速化で281系が130km/h運転、NN183系が120km/hだし、貨物もDF200が増えてDD51重連よりパワーがあって速度も速いDF200が増えたので速度の遅い列車はどうしても邪魔になるのが鉄道の掟である。ロビーカーでは札幌車掌所の車掌がJR北海道オリジナル・北斗星グッズの出張販売中で6人は北斗星ファンであるから乗る機会も多く、我々は誰も購入しなかったけど車掌がカモだと思ったのか声を掛けて盛んに営業する。

 

愛用してますよと北斗星グッズでもある使用中の小銭入れを見せると他の5名が銘々に小銭入れや懐中時計などを見せると今度は北斗星オリジナルカードの営業に切り替ったので自分がJR東日本ではそのまま自動改札口に投入できるイオカードがあるのでオレンジカードは使わないため不要である事と北斗星オリジナルグッズにネクタイピンや携帯電話用ストラップ等があれば買いますので商品化希望の旨を伝えた。列車は陣屋町、元輪西と通過して非電化区間から電化区間に変わると東室蘭(9:20-22)に到着したのでここで解散して各自の個室へ戻る事にした。

 

ホームの自販機で暖かい缶コーヒーを購入してから9号車に戻って札幌までは1時間37分なので缶コーヒーを飲みながら個室でゆっくりと過ごすがさっきまでのロビーカーでハイテンションだったので1人で静かに個室で過ごしていると時間の流れが早くて5列車は登別(9:36-36)に到着。昨日から今日にかけて仲間とロビーカーで雑談している時間が長かったので手帳に色々書き加えていると車掌の車内放送が苫小牧到着を告げており、苫小牧(10:05-06)を発車すると日高線の線路と分かれて札幌駅まで50分余りとなる。下車準備だけ済ましておいて9号車1番と10号車12番の優雅なSA1乗車氏へ表敬訪問した。

 

オロハネ24-501のSA1は同時期に増備されたオロハネ24-550番台(551~554)と同じだけど9号車1番氏は車端ロイヤルだと思っていたけど乗車3日前に運用変更が発生して大喜びしてHSGの本部に連絡して自分もその件は号外メールで確認していた。事前にメール連絡したので部屋主が扉を開けて待っててくれ、中に案内されたので雑談するが今夜の6レで上野駅に到着すると尾久へ回送後はオロハネ25-553と差し替えられてその後オロハネ24-501は6003レへ組成されるとの話であった。

 

少し話して2人で10号車12番へ訪ねるとちょうど南千歳(10:25-26)に到着したので20分くらい3人で話してから2人は各自の個室に戻ると列車は札幌市厚別区を走行中で手稲駅を通過したくらいにデッキに出ると全員9号車のデッキに集まって身内で混雑している。定刻10:59に札幌駅5番線に到着するとホームには見た顔が何人もいて5レの出迎え組との事で扉が開くとガッツポーズで再会を喜び合った。やっぱり同じ趣味の仲間っていいものだな~って再確認した旅であった。1レ先行者や飛行機で来た仲間も居て札幌駅5番線に集まったのは総勢12名で快速エアポート105号でプレツアーのランチへ出かけた。

 

18時より総勢16名が集まり、1ヶ月遅れの新年会(実は忘年会)に参加して二次会まで参加してから札幌駅北口にある、ホテルクレスト札幌に一泊してJAL506便で東京に戻った。今回は自分にとって乗車は別々だけどロビーカーやグランシャリオで長い時間を過ごした初めての団体旅行というか、グループに近い北斗星旅は初めてだったので結構楽しめました。同じ仲間同士なので馴れ合い的な事が鼻に付くかもしれないけどマンネリ気味のブログが多いため、目先が変わったブログ内容でもよくないかな?。

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★